つむぎとうか
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微睡みから帰還して、高い高い空を仰ぐ。今夜は満月だと誰かが言っていた。
きっと同僚の講師だろう。高校生で月の満ち欠けを把握している者はそうはいないはずだ。
突っ伏した机から頭を起こし、雪男は窓を見上げた。
カーテンを閉めるのを忘れていたが、覗き見られる心配はあまりしていない。万一変質者がいたとしても、男子高校生二名の寮部屋など盗撮したがる輩がいるとは思えない。どちらかというと、危険は内部からの侵入者にある。
そう、たったいま忍んできた志摩のように。
音を立てずにドアを開けるなんて技能を、身に付けるにはどんな経緯があったのか。暗いなか彼の明るい髪色だけがぼんやり浮かび、スタンドライトを点ければ見慣れたへらりとした微笑があって、それは太陽の下でなければ胡散臭いだけだった。祓魔師になれなくても、詐欺師としてやっていけるかもしれない。
「何や、居眠りしてはる思うたら」
「気配で目が醒めましたよ」
あのまま眠っていたら風邪を引くところだったので助かりました――外していなかった眼鏡の無事を確かめながら、なるべく冷淡にあしらおうとする。
折り畳んだ携帯を開けば、デジタルの数字は午前二時半を示していた。多くの睡眠を必要としない雪男にはまだ余裕のある刻限だったのだけれど、塾のあと突発任務に駆り出された疲労にやられたのだろうか。全く、まだ若いというのに。
山のように積んだプリントは全て採点済みだった。そのままベッドに移動する気力もなくうとうとしていたらしい。ちゃんと布団を被って寝ないと、また燐に激怒される所だった。
「門限破りで締め出されたんですか?」
「お見通しやね。せやから予備の毛布、貸したってください」
志摩の属する一般寮は規律が厳しく、一分でも遅れたら生徒が懇願し翌日反省文を提出しなければ入れてもらえない。が、雪男は仕事柄深夜まで留守にすることも多く、比較的出入りは自由だった。ちなみに燐は夜間外出などしたことがない。
『先生、後生ですから泊めてください!このとーりですっ!』
必死で頭を下げる志摩に、ついうっかり情けを掛けたのが運の尽き。
一度や二度では済まず、何だかんだで言い包められて合鍵まで渡してしまった。――悪用はしないと誓ったけれど、夜中に燐や雪男が寝ていてもお構いなしに入ってくるのは果たしてセーフなのか。ジト目で毛布を投げる。
「デートですか」
「まさか。コンビニで立ち読みしてたらつい時間を忘れてしもて」
どうせエロ本だろう、とは突っ込まないでおく。彼の行動パターンは燐ほどではないが読みやすかった。
「兄はびっくりするでしょうね。朝になったらまた志摩君が転がってるんですから」
「ほんま、奥村君はちっとも気づかへんなー」
いっそ感心したみたいに、志摩は燐の寝顔と仏頂面の雪男を見比べる。似てない、どころか対照的だ。
若くして祓魔師と講師の資格を持ち、いつ来ても眉間に皺をつくり、仕事か勉強をしている。授業では笑顔だが、素では愛想の安売りなどバカバカしいと考えているのかもしれない。辛辣な態度が、志摩にとっては新鮮で好ましくもあった。
(繕う必要ない相手になれたってことやし。ま、俺が押しかけてるんやけど)
徹底拒否に踏み切られたら志摩も諦めるしかないが、最終的には渋々でも許してもらえているのだ。
「で、課題は片付いてるんでしょうね?まだだったら……」
「や、やってから出たに決まってますやん!」
中学時代、勝呂や子猫丸には呆れられ、父兄の拳骨を食らっても完遂するほうが珍しかった宿題。高校でもわりと適当にサボっている。が、祓魔塾に関わるものだけは一切手を抜かないようになった。触発された、とでもいおうか。
「先生もあとは休めるんでしょ?早う寝ましょ」
他人の部屋に乗りこんで何を言っているのだと叱られても。
志摩は雪男がちゃんと目を瞑るまで先に眠ったことがない。まるで、彼に安息をもたらすのが役目であるかのように、定期的に門限を破る。無理はしないで欲しいのだ。
薄々気づいているのかどうか、雪男は素直にベッドに横になった。
「床は痛いでしょうけど、狭いですから――生憎、枕を並べることは、できなくて」
ちょっぴり申し訳なさそうに呟きながら、眠りの淵へいった。
(密着したら添い寝も出来るやろうけど)
雪男が嫌がるより先に、志摩が理性を保てないだろう。
彼をもっと知りたいと願ったのはいつからだったか。昼間、校舎内で見かけた時も、授業中も視線で追うようになって。
「ねえ、実は夜這いに来たって言ったら意識してくれはります?」
また、チャンスを逃してしまったけれど。
カーテンを引き、掠れた囁き声を落として、月明かりを遮断する。
僅かな間だけ触れることで独占欲を満たし、志摩もまた床に就いた。