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つむぎとうか

   
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遠くまで 5
認めたそれは

 好きな人がいた。顔を合わせて言葉を交わしたのは一度きりで、望む通りの結末を迎えることが出来た。守りたかった彼女の幸せを見届けることで、夜の願いは叶った。
 最中に向けていた、恋と言うには淡い想いとは別に、生身ならではの欲求も僅かながら持っていた。食事も睡眠も一応は欠かせないものだし、言い寄ってくる女性を情はなくとも抱くことはあった。
 合意の上の行為でも、そうして体を重ねた後には決まって酷い自己嫌悪に襲われた。祓魔のために悪魔から人間となることで生じた不都合のひとつだ。勝手な悩みではある。
 だが、この感情は何だろう。最中と同じく、はじめは確かに庇護してやりたかった存在だったのに。

 認めたくない。雪男に対して、覚えのない劣情を芽生えさせてしまっていることを。



 過保護な夜の看病を一晩受けた翌朝には、体調はすっかり良くなった。
「じゃあ、僕は帰りますね」
「本当の本当に熱下がったな? 細工してねーな!?」
 鍛えているのだから回復も早いのに、執拗に疑われるのは雪男の過去の所業が原因である。
「お前昔からしんどいの隠してただろ。なんか年々演技うまくなってったし」
 十歳以前は、出来上がっていない身体を酷使して周囲に心配を掛け通しだった。倒れないように養父がストッパーとなってくれていたが、いつも側にいられるとは限らない。
 強がりを直せない雪男を見守るために、獅郎がいないのを見計らったように夜は現れた。
 彼の前で涙腺が緩むのは、大抵が我慢を重ねて無理している時だから。初対面からして泣き顔を見られていたため、不思議と肩の力が抜けた。居心地が良い分、焦りが募っていった。
 高校入学を機に、甘えるだけの日々は終わらせると決めた。
 このままでは駄目だ。雪男は、夜に認めてもらいたいのだから。

「大丈夫です。明日からは寮生活ですし、今後兄関連で色々ありそうですけど、夜さんに迷惑は掛けませんので」
「迷惑じゃないっての」
 溜め息を吐いて、彷徨う雪男と眼を合わせた。
 改めて、目の高さもほとんど追いつかれたことに気づく。それでも、守ってやりたい気持ちに変わりはない。
「お前だけ色々背負うなんて大変だろ。疲れたら呼べ、いつでも駈けつけるから」
「だから、そういう台詞は女の人口説くのに使ってください、って」
「ストップ」
 いつもみたいに抗議しかけた唇に指を当てた。
 夜は雪男が思っているほど御人好しじゃない。わかったからにはもう誤魔化さない。
「燐のことはメフィストにでも任せて。嫌になったら、どこでも連れてってやる」
 ――お前が楽になれる、遠くまで。
 肩肘を張るなという夜の言葉に、雪男はかえって焦りを覚える。抱き寄せられて心臓がうるさい。聞かれたらどう答えればいいのやら。
 そんな雪男にお構いなしに夜は続ける。
「それと、……こういう台詞は、本命以外には使わないから安心しろ」
 沈黙が流れ、意味が呑みこめない雪男の腕を取って夜は苦笑いする。軽く音を立てて頬に口づけを落とした。
「ごめんな、もう守るだけじゃ満足できない」
 甘やかすだけではなく。
 

 雪男が思考回路を取り戻すまでに五分を要した。その間ずっと、夜に絡められた指を解けなかった。抵抗する気がしない時点で結果は見えている。
「え、それは、つまり」
 うろたえまくって挙動不審なのに、夜は返事を待ちながらまだしゃべっている。
「雪男は特別だ、ってこと。俺が悪魔を倒したいと願うきっかけになった彼女とは違うけど、お前が頑張ってる所は助けてやりたいし、無理してたらやめさせたい、聞かないなら力づくでも休ませる」
 本当に、どこまで無自覚なのだろう。優しい顔で、蕩けそうな声で囁かれ続けて、惹かれずにいられるものか。
 そろそろ羞恥心も限界だ。
「わかったので。もういいから黙ってください」
 答える代わりに、掛けられた腕をぎゅっと握る。それだけで伝わるといいのだけれど。
「僕は、やっぱり夜さんに弱音は吐きたくないです。ただでさえ泣いてる姿を見られまくってたんだから」
 好きな人の前で、これ以上の醜態は晒したくない、と。緊張に震わせた喉から絞り出すようにして、精いっぱいの告白がえしを。
 抱きしめられる力が増した。

 遠くまで連れ去ってくれなくてもいい。逃げることはしたくないから。
 ――でも、あなたが居るなら楽に笑える気がする。
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