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つむぎとうか

   
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縺れた糸
うっすらとですが監禁注意

 黒い布地に視界を奪われる。
 いや、それ以前から間桐雁夜の双眸は光を宿していなかった。豪奢なものを苦手とする彼にとって、一級品ばかり誂えた広い部屋など拷問に近い仕打ちである。
 まして、部屋の主が嫌い抜いた遠坂時臣とあっては。

 しつこい残暑がようやく去ってくれたある日のこと。
 久しぶりに、幼馴染でこの家の妻である葵と会った。彼女の娘たちと共に。
 短い時間だったが、三人の顔を見るのは雁夜の最大の楽しみであり活力源だ。けれど遠坂の屋敷に訪れる羽目になるとは想定外だった。
 擦り傷を創って借りた、葵のハンカチ。返すのを忘れていたことに気づき、仕方なく赴いた。
 葵は留守だった。洗濯したそれにメモ書きを添えて居間のテーブルに置き、逃げるように踵をかえす。誰にも会わないでそのまま帰るつもりだったのに。
「おや、お客様かい?」
 規則正しい足音が床に跳ねて響く。
 優雅と形容されるその歩き方が、声が、昔から嫌いだった。貴族の仮面を纏った所で、隠しきれない剣呑な調子を雁夜は見抜いてしまう。――これだから、魔術師は。
 とりわけこの男が発する空気が受け容れ難い。きっと嫉妬も混じっているのだろう。雁夜が焦がれてやまないものを全て手の内に収めた、余裕ありげな微笑が我慢ならないのだから。
「……お邪魔、しました」
 だがここは時臣の住まいだ。間桐を捨てた自分が異分子なのは理解しているし、母娘に招かれても出来る限り避けていた。まさか他でもないこの男に見咎められるだなんて。
 機械的に頭を下げ、そそくさと退散しようとした袖を捕らえられる。乱暴な仕草ではないのに、力をこめられた腕を剥がすことができない。己の非力を思い知らされたようで腹が立つ。
「離せよ」
「そうはいかないな。何の用かはさておき、もてなしもせず帰ってもらうなんて以ての外だ」
 日も落ちたのだから一献、などとのたまう自称優雅な当主に呆れる。改まって話すことなどなかろう、というか時臣も雁夜のことは軽蔑しているにちがいないのだが、歓待したという事実が欲しいらしい。
 グラス一杯ならと承諾したのは、頷かなければ解放されないとわかっていたからだ。

 口をつける前に、産地や銘柄を説明されたが、ワインの味などわからない。飲み慣れた安酒とは随分ちがうことしか判断できなかった。そう正直に告げたら、予想通りというふうに首肯された。嫌味な男だ。
 濁ったワインをひと息に干せば、酔いが廻ったのか眩暈が襲う。妙だ、と思ったそばから意識が遠のいてゆく。
「変な味でも、わからなかったようだね。隙だらけだ」
 機嫌好さげな、雁夜にとっては耳障りな含み笑い。
 黙れ、と叫ぼうとしたが、床と天井がぐにゃりと歪んだ。

 どうやら一服盛られたらしいと、目が醒めた時捕縛されていたことでようやくわかった。
 敵対する魔術師同士なら出された飲食物に警戒もしようが、不意討ちだった。曲がりなりにも現在の雁夜は一般人、争いの渦中にあったわけでもない。何の真似だというのだ。
「別に? 積もる話がしたかっただけだが、君は帰りたそうにしていたから」
「それだけの理由で手錠と目隠しまで準備したのか手前は!」
 なぜ、と問うて、一切の曇りない返答をされたものの、納得できるはずがない。
 だから魔術師は嫌なんだ、と吐き捨てると、絵に描いたような魔術師は傷ついたのか身を竦ませる気配がした。
 遠い昔は、この男に憧れていた時期もあった。
 葵が惹かれていくのも悔しかったが納得した。間桐家の魔道では、彼女を幸せにすることは叶うまい。己に言い聞かせて身を退いたのに。
 頼れる夫で、父親のはずの時臣は、嬉々として雁夜に目隠しを施している。拘束された手首と、薬のせいで力の抜けきった膝。なんて性質の悪い冗談だろう。
 睨みつけても相手には見えないのだと気づき、腰が砕けそうになる。
「間桐と縁を切ったんだろう?なら、葵たちとも顔を合わせるべきではなかった」
 中途半端に関わろうとなどしなければ、こうして捕らわれることもなかったろうに。

     +++++

「俺はただ……彼女の幸せを見届けたかった」
 か細く抗う囁きに、時臣は気取られぬよう嘆息した。
 
 雁夜の心は、今でも真っ直ぐ葵だけに向けられている。
 時臣にとっても葵は理想の配偶者だ。遠坂のために結んだ婚姻を、後悔したことなどないけれど――
 彼個人が欲していたのは、他でもない、間桐雁夜という青年だったのに。
「君にその資格はないんだよ」
 拒まれても、手に入れたいのだから仕方がない。
 たとえ、どんな手段を用いてでも。

 縺れきった糸は、ほどけない。
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