つむぎとうか
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雁夜おじさんが葛藤する話-b
年齢操作・捏造設定注意。
遠坂邸での日々は、驚くほどの早さで流れていった。
雇い主の家族は優しい人たちだった。雁夜は慕っていた葵や、母の面影を宿す娘たちを全力で守ったし、性格は合わない時臣にも感謝していた。
凜と桜の笑顔見たさに、ささやかな贈り物を何度も何度も贈った。そのことで葵に礼を言われて照れたり、そつなく優雅な時臣の機械音痴に苛立ちながら使い方を教えたり。穏やかで幸せな毎日だった。
満ち足りた暮らしを送るほど、儚い夢のように思えて。
醒めやしないかと怯えていた。明るく上げた自分の笑い声が、冷たい床に響く幻なのではないかと。
不安に陥った時、雁夜の側には、いつしか守るはずの少女が寄り添ってくれていた。
『こわがらないで』
情けない姿を見られ、逃げようとした雁夜を桜は引き止めた。
『だいじょうぶだから。カリヤおじさん、泣くのをがまんしなくてもいいから』
――自分よりずっと幼い桜に気を遣われている。
どうしようもなく温かい感情が湧き上がる。何度も救われた心地がした。
それなのに、雁夜は無力なままだった。桜が養子に出された先も知らされないのだから。
時臣は因習がらみで縁組を断れなかったのだという。胸騒ぎがした。
『遠坂の先代には貸しがある……無理難題でも呑まざるを得んじゃろうて』
祖父の、まとわりつくような言葉が蘇るのだった。
一年が過ぎた時、確証を得た雁夜は雇い主に掴みかかった。
『遠坂さん、あんたは俺の恩人です。けど、答えてくれないなら容赦しない』
――あの子が行ったのは、間桐家なのか?
そして雁夜は、受ける筈だった責め苦の結果を目の当たりにする。
小さな身体に毒を浴びて、髪と瞳が変色した、護りたかった女の子。
『致死量以上の毒を蓄積させて、立って動いている――お前などよりよほど適した被験体を得たわ』
人でなしの笑みを浮かべる祖父を、殺せそうな眼で睨んだ。
『ふざけるな、この子は何の関係もないだろう。俺が戻れば、良いんだろう』
雁夜のせいだ。逃げないまま大人しくしていれば、ここにいるのは自分だったはず。
『我が家の存続のため、毒を飲む者は欠けてはならぬのだ。ああ、出来損ないでも構わぬぞ? 壊れるまで酷使してやろうて』
桜を帰して、蔵へ降る。少女を犠牲にしての未来などいらない。
夜が明けたとき。
“間桐雁夜”は、すっかり消息を絶っていた。
+++++
その子が日課のように訪れる放課後が、彼の最近の悩みの種である。
「二人きりですね」
頬を赤らめ、少女は声を弾ませた。可愛いけれど反応しないよう努める。
「保健室の利用者が少ないのは良いことだよ」
君も元気なら帰りなさい――やんわりと続けたのだが、心外だとばかりにじっと見つめられてしまった。
「いつでも遊びに来ていいって言ったのは雁夜さんでしょう」
まだ居ますからと宣言して、桜はお茶のお代わりを淹れるため立ち上がった。てきぱきとした仕草は雁夜よりよほど手慣れていて、知らない人が見たら白衣の彼が制服の少女にもてなされている構図に映りかねない。
まず外見からして、養護教諭というよりは患者っぽい雁夜である。駆けこんだ生徒の何割かが「先生の方が重症みたいなんで遠慮します」と引き返すほどであった。いくら怪我人の手当てくらいは出来ると主張しても、さっぱり信用してもらえないのは心外である。
とはいえ、治療が必要な生徒はさすがに断らないので、雁夜が赴任して以来、学校側が手を焼いていた仮病の発生率がぐっと下がり、職員間では概ね好評だった。
そんな理由で閑散としている保健室に、四月からせっせと通い続けている少女がいる。
予想はしていたがここまでとは思わず、雁夜は困り果てていた。といって逃げるのも職務放棄に当たる。
「迷惑とかじゃなくて、桜ちゃんにはつまらないだろ? こんなとこで過ごすよりもさ、」
部活だとか友達と遊ぶとか、楽しいことはいくらでもあるだろうに。けれど桜は頑なに首を振るのだ。
「ここが良いの。雁夜さんに会えるから」
花のように頬を綻ばせる。ほんのり紅く色づいて愛らしいが、そんな表情をさせるのは自分以外の誰かであって欲しかった。再会してから、桜は日毎にきれいになっていく。凜も指摘していたから気のせいではない。
少女の変化が、雁夜には苦しかった。なぜ着任した高校に姉妹揃って入学してきたのだろう。
(会わないまま、忘れてしまうべきだったのに)
たった半年、一緒に過ごしただけの男なんて。あの頃はともかく、今の雁夜は正真正銘のおじさんである。二十代だが身体的には相当やばかった。関わるのは得策ではないと、凜も桜もわかっているのだろうに。
実家と、本当の意味で縁を切ったのは二年前のことだ。
さんざん毒の研究に用いられた後、虫の息の状態で解放された。正直死体になって転がされるのを覚悟していただけに意外だった。
情けをかけたなんてことではないだろう。裏切り者の孫は野垂れ死ね、とばかりに追い出したのかもしれない。
半身が機能していない状態で、職を見つけられたのは奇跡みたいなものだった。長生きできるとも思えないから、ひっそり暮らして息を引き取るつもりで。
うかつだった。まず凜に見つかった時点で、外聞を気にせず逃走を試みるべきだったのだ。……でも再就職できるとも思えなかったし。
恐れていた通り、次の年度には桜もやって来て、絶賛熱烈な視線攻撃を受けている。
「だから、何回も言っただろ!? 俺には何もないし、誰かを幸せにするなんて到底出来ない。初恋なんかさっさと捨ててきてくれ、って」
「同じだけ言い返したでしょ? 幸せなんて私が決めることだし、初恋十年もこじらせた上に再会したら手の施しようなんてないし、告白に対して気持ちを伝えてくれないのは卑怯です、って」
――正直な気持ちなど伝えられるわけがない。おじさん呼びを名前呼びに切り替えられただけでもぐらぐら揺れているのに。
「観念してください」
「嫌だ。桜ちゃんこそ目を覚ますことだね」
空になった湯呑みを取り上げて、雁夜は強権発動で桜を追い出した。どうせ明日も似たような光景が繰り広げられるのだろうが。
記憶の中であどけなく笑っていた少女が、見違えるように成長し、拙い言葉で愛を囁いてくるなんて。
……雁夜の葛藤はまだまだ続くのだった。
雇い主の家族は優しい人たちだった。雁夜は慕っていた葵や、母の面影を宿す娘たちを全力で守ったし、性格は合わない時臣にも感謝していた。
凜と桜の笑顔見たさに、ささやかな贈り物を何度も何度も贈った。そのことで葵に礼を言われて照れたり、そつなく優雅な時臣の機械音痴に苛立ちながら使い方を教えたり。穏やかで幸せな毎日だった。
満ち足りた暮らしを送るほど、儚い夢のように思えて。
醒めやしないかと怯えていた。明るく上げた自分の笑い声が、冷たい床に響く幻なのではないかと。
不安に陥った時、雁夜の側には、いつしか守るはずの少女が寄り添ってくれていた。
『こわがらないで』
情けない姿を見られ、逃げようとした雁夜を桜は引き止めた。
『だいじょうぶだから。カリヤおじさん、泣くのをがまんしなくてもいいから』
――自分よりずっと幼い桜に気を遣われている。
どうしようもなく温かい感情が湧き上がる。何度も救われた心地がした。
それなのに、雁夜は無力なままだった。桜が養子に出された先も知らされないのだから。
時臣は因習がらみで縁組を断れなかったのだという。胸騒ぎがした。
『遠坂の先代には貸しがある……無理難題でも呑まざるを得んじゃろうて』
祖父の、まとわりつくような言葉が蘇るのだった。
一年が過ぎた時、確証を得た雁夜は雇い主に掴みかかった。
『遠坂さん、あんたは俺の恩人です。けど、答えてくれないなら容赦しない』
――あの子が行ったのは、間桐家なのか?
そして雁夜は、受ける筈だった責め苦の結果を目の当たりにする。
小さな身体に毒を浴びて、髪と瞳が変色した、護りたかった女の子。
『致死量以上の毒を蓄積させて、立って動いている――お前などよりよほど適した被験体を得たわ』
人でなしの笑みを浮かべる祖父を、殺せそうな眼で睨んだ。
『ふざけるな、この子は何の関係もないだろう。俺が戻れば、良いんだろう』
雁夜のせいだ。逃げないまま大人しくしていれば、ここにいるのは自分だったはず。
『我が家の存続のため、毒を飲む者は欠けてはならぬのだ。ああ、出来損ないでも構わぬぞ? 壊れるまで酷使してやろうて』
桜を帰して、蔵へ降る。少女を犠牲にしての未来などいらない。
夜が明けたとき。
“間桐雁夜”は、すっかり消息を絶っていた。
+++++
その子が日課のように訪れる放課後が、彼の最近の悩みの種である。
「二人きりですね」
頬を赤らめ、少女は声を弾ませた。可愛いけれど反応しないよう努める。
「保健室の利用者が少ないのは良いことだよ」
君も元気なら帰りなさい――やんわりと続けたのだが、心外だとばかりにじっと見つめられてしまった。
「いつでも遊びに来ていいって言ったのは雁夜さんでしょう」
まだ居ますからと宣言して、桜はお茶のお代わりを淹れるため立ち上がった。てきぱきとした仕草は雁夜よりよほど手慣れていて、知らない人が見たら白衣の彼が制服の少女にもてなされている構図に映りかねない。
まず外見からして、養護教諭というよりは患者っぽい雁夜である。駆けこんだ生徒の何割かが「先生の方が重症みたいなんで遠慮します」と引き返すほどであった。いくら怪我人の手当てくらいは出来ると主張しても、さっぱり信用してもらえないのは心外である。
とはいえ、治療が必要な生徒はさすがに断らないので、雁夜が赴任して以来、学校側が手を焼いていた仮病の発生率がぐっと下がり、職員間では概ね好評だった。
そんな理由で閑散としている保健室に、四月からせっせと通い続けている少女がいる。
予想はしていたがここまでとは思わず、雁夜は困り果てていた。といって逃げるのも職務放棄に当たる。
「迷惑とかじゃなくて、桜ちゃんにはつまらないだろ? こんなとこで過ごすよりもさ、」
部活だとか友達と遊ぶとか、楽しいことはいくらでもあるだろうに。けれど桜は頑なに首を振るのだ。
「ここが良いの。雁夜さんに会えるから」
花のように頬を綻ばせる。ほんのり紅く色づいて愛らしいが、そんな表情をさせるのは自分以外の誰かであって欲しかった。再会してから、桜は日毎にきれいになっていく。凜も指摘していたから気のせいではない。
少女の変化が、雁夜には苦しかった。なぜ着任した高校に姉妹揃って入学してきたのだろう。
(会わないまま、忘れてしまうべきだったのに)
たった半年、一緒に過ごしただけの男なんて。あの頃はともかく、今の雁夜は正真正銘のおじさんである。二十代だが身体的には相当やばかった。関わるのは得策ではないと、凜も桜もわかっているのだろうに。
実家と、本当の意味で縁を切ったのは二年前のことだ。
さんざん毒の研究に用いられた後、虫の息の状態で解放された。正直死体になって転がされるのを覚悟していただけに意外だった。
情けをかけたなんてことではないだろう。裏切り者の孫は野垂れ死ね、とばかりに追い出したのかもしれない。
半身が機能していない状態で、職を見つけられたのは奇跡みたいなものだった。長生きできるとも思えないから、ひっそり暮らして息を引き取るつもりで。
うかつだった。まず凜に見つかった時点で、外聞を気にせず逃走を試みるべきだったのだ。……でも再就職できるとも思えなかったし。
恐れていた通り、次の年度には桜もやって来て、絶賛熱烈な視線攻撃を受けている。
「だから、何回も言っただろ!? 俺には何もないし、誰かを幸せにするなんて到底出来ない。初恋なんかさっさと捨ててきてくれ、って」
「同じだけ言い返したでしょ? 幸せなんて私が決めることだし、初恋十年もこじらせた上に再会したら手の施しようなんてないし、告白に対して気持ちを伝えてくれないのは卑怯です、って」
――正直な気持ちなど伝えられるわけがない。おじさん呼びを名前呼びに切り替えられただけでもぐらぐら揺れているのに。
「観念してください」
「嫌だ。桜ちゃんこそ目を覚ますことだね」
空になった湯呑みを取り上げて、雁夜は強権発動で桜を追い出した。どうせ明日も似たような光景が繰り広げられるのだろうが。
記憶の中であどけなく笑っていた少女が、見違えるように成長し、拙い言葉で愛を囁いてくるなんて。
……雁夜の葛藤はまだまだ続くのだった。
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