つむぎとうか
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遠くまで 3
捏造注意
入学式をすぐそこに控えた冬の終わり。
養父が亡くなった。
死に顔からは苦悶のあとは伝わってこなかったけれど、異常な最期だったのは確かだ。憔悴した燐を問い詰めるのも酷なので、荷造り等に追われているふりをしてやり過ごす。任務を回してもらうよう頼んでいたので、寝るためだけに修道院に戻る日が続いた。
これまでは、兄に隠すのに苦労していたのだけれど、燐は雪男の状態に気づかない。そうこうしているうちに、寮への入居が近づいている。
兄は覚醒してしまった。獅郎と雪男が最も避けなければならなかった事態を抑えられなかった。
虚無界にこそ連れ去られなかったけれど、結果的に獅郎はサタンに憑依され、命を失った。
メフィストが燐に接触するのを遠目に見て、雪男は宙を睨んだが、力ない視線はすぐに地面を向いた。
冷たい雨が降りしきる。
全身を、頬を打つ水滴は心を代弁してくれているようだけれど、雪男の瞳から涙が流れることはなかった。ただ黒い喪失感ばかりが覆ってゆく。
足が棒のように硬直して動けないでいると、礼服のポケットで携帯が震えた。取り出したディスプレイには漢字一文字。
苗字なしで登録してある唯一の名前だ。
“――雪、男……?”
何回目かの着信で通話ボタンを押せば、静かな呼びかけが耳元で凪いだ。
“はい、奥村 ”
癖で名乗って、知ってるよ馬鹿、と返ってくるのが恒例のやり取りであったが、今日は黙っている。掛けてきたくせに、雪男の言葉を待っているみたいに。
深呼吸して口を開いた。
最後に顔を合わせたのは、入学試験の前日だった。激励だとか称して背中を押してくれた。課される任務の規模が大きいから、ほぼ世界中を飛び回っているくせに。
ふと会いたいと思った時、あまりに都合よく笑いかけてくれるから、悪魔というより幻みたいだ。
『神出鬼没なのに、正十字の試験日程把握してるんですか』
『まあまあ、力抜いとけって』
お前なら目ぇ瞑ってても受かるだろ――適当なことを言ってくれる。むくれて目を逸らしたら腕が伸びてきて頭を撫でられた。
身長は雪男の方が少し高いくらいなのに、夜の掌は大きくてあたたかい。
『合格祝いは何が良い?』
連絡くれたら飛んで行く、なんて。女性なら舞い上がるだろう、そんな顔で囁かれたら。無用な勘違いをされてしまわないのか。
『別に、誰にでもやってるわけじゃない。好意は素直に受け取っておけよ、何が良い?』
『だから、そういう科白がいけないんですってば』
満更でもない、どころかものすごく嬉しいが悟られたら嫌だ。褒美をねだるなんて子どもじゃあるまいし。
年少者だけど。一番弱かった幼少期も知られてしまっているけれど。
『……あの、物じゃなくても大丈夫ですか?』
『肩叩きでも所望か?お前ストレス溜め過ぎ』
『孫の手欲しがるおじいさん扱いですか』
それはそれで、実年齢を主張したくもなる。
『ははっ、俺のがよっぽどじじいだろ。素直に甘えとけって』
笑う様は大人、言動は同い年でも違和感なく、けれど実際はどれだけ足掻いても及ばない経験値の差。
遠い場所から、優しさだけを降らせてくるひとに告げる。
“お願いです、夜さんの一日を僕にください”
それだけ言い切って、早口で時間と場所を続ける。
彼は忙しい。来なくてもいいと言い添えて、通話を終了させた。
泣き出す寸前の声をしていた。
初めての頼み事が、張り裂けそうな悲しみを湛えて、だなんてやるせない。ただでさえ多くを背負って生きてきたのだ、きっと極限だ。今涙を溢れさせなければ危ないような気がする。
「鍵、どこにしまったっけ」
弱いなんて感じない。それでも守ってやりたいのだと伝えたら、雪男はどう思うのだろうか。
養父が亡くなった。
死に顔からは苦悶のあとは伝わってこなかったけれど、異常な最期だったのは確かだ。憔悴した燐を問い詰めるのも酷なので、荷造り等に追われているふりをしてやり過ごす。任務を回してもらうよう頼んでいたので、寝るためだけに修道院に戻る日が続いた。
これまでは、兄に隠すのに苦労していたのだけれど、燐は雪男の状態に気づかない。そうこうしているうちに、寮への入居が近づいている。
兄は覚醒してしまった。獅郎と雪男が最も避けなければならなかった事態を抑えられなかった。
虚無界にこそ連れ去られなかったけれど、結果的に獅郎はサタンに憑依され、命を失った。
メフィストが燐に接触するのを遠目に見て、雪男は宙を睨んだが、力ない視線はすぐに地面を向いた。
冷たい雨が降りしきる。
全身を、頬を打つ水滴は心を代弁してくれているようだけれど、雪男の瞳から涙が流れることはなかった。ただ黒い喪失感ばかりが覆ってゆく。
足が棒のように硬直して動けないでいると、礼服のポケットで携帯が震えた。取り出したディスプレイには漢字一文字。
苗字なしで登録してある唯一の名前だ。
“――雪、男……?”
何回目かの着信で通話ボタンを押せば、静かな呼びかけが耳元で凪いだ。
“はい、奥村 ”
癖で名乗って、知ってるよ馬鹿、と返ってくるのが恒例のやり取りであったが、今日は黙っている。掛けてきたくせに、雪男の言葉を待っているみたいに。
深呼吸して口を開いた。
最後に顔を合わせたのは、入学試験の前日だった。激励だとか称して背中を押してくれた。課される任務の規模が大きいから、ほぼ世界中を飛び回っているくせに。
ふと会いたいと思った時、あまりに都合よく笑いかけてくれるから、悪魔というより幻みたいだ。
『神出鬼没なのに、正十字の試験日程把握してるんですか』
『まあまあ、力抜いとけって』
お前なら目ぇ瞑ってても受かるだろ――適当なことを言ってくれる。むくれて目を逸らしたら腕が伸びてきて頭を撫でられた。
身長は雪男の方が少し高いくらいなのに、夜の掌は大きくてあたたかい。
『合格祝いは何が良い?』
連絡くれたら飛んで行く、なんて。女性なら舞い上がるだろう、そんな顔で囁かれたら。無用な勘違いをされてしまわないのか。
『別に、誰にでもやってるわけじゃない。好意は素直に受け取っておけよ、何が良い?』
『だから、そういう科白がいけないんですってば』
満更でもない、どころかものすごく嬉しいが悟られたら嫌だ。褒美をねだるなんて子どもじゃあるまいし。
年少者だけど。一番弱かった幼少期も知られてしまっているけれど。
『……あの、物じゃなくても大丈夫ですか?』
『肩叩きでも所望か?お前ストレス溜め過ぎ』
『孫の手欲しがるおじいさん扱いですか』
それはそれで、実年齢を主張したくもなる。
『ははっ、俺のがよっぽどじじいだろ。素直に甘えとけって』
笑う様は大人、言動は同い年でも違和感なく、けれど実際はどれだけ足掻いても及ばない経験値の差。
遠い場所から、優しさだけを降らせてくるひとに告げる。
“お願いです、夜さんの一日を僕にください”
それだけ言い切って、早口で時間と場所を続ける。
彼は忙しい。来なくてもいいと言い添えて、通話を終了させた。
泣き出す寸前の声をしていた。
初めての頼み事が、張り裂けそうな悲しみを湛えて、だなんてやるせない。ただでさえ多くを背負って生きてきたのだ、きっと極限だ。今涙を溢れさせなければ危ないような気がする。
「鍵、どこにしまったっけ」
弱いなんて感じない。それでも守ってやりたいのだと伝えたら、雪男はどう思うのだろうか。
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