つむぎとうか
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分岐点
青春とは拳を交えることと見つけたり
男子生徒二人が、どうやら派手な殴り合いを繰り広げているらしい。
塾のない放課後、図書館で自習を進めていた雪男は、近くの中庭で起こったらしい騒ぎに軽く目瞬きした。
静かな空間を求めてここに来たのに、利用者どころか受付カウンターの職員まで興味津々で私語を注意しようともしない。雪男には正直迷惑な状況だが。
野次馬は人の多い場所に流れてくる。ひそめたつもりの声は存外響くもので、雪男は予習を諦めてノートを閉じた。早めに寮に引き上げようと荷物をまとめる。
すると、入口から遠い席の雪男の肩をわざわざ捜したのか、肩を叩く者が現れた。
振り返った先には一応面識があるクラスメート。面倒だな、と表情には出さず思い耳を傾ける。
囁きの内容にこめかみを押さえた。
“あっちで暴れてるの、奥村君のお兄さんじゃない?”
+ + + + +
振り上げかけた拳を止めた。息せき切って走ってくる眼鏡の彼を視界の端に認めたので。
志摩の知る限りでも彼の余裕のない姿を目にするのは数回目で、その全てが兄絡みだった。本人たちが自覚していないにしろ実に明確な弱点であろう。
その燐が人目もはばからず争いに興じていると聞いて、慌ててやって来たのだろう。脇に抱えたファイルからはみだした紙束が風に揺れて舞う。
整然とした並びが乱れても構わずに、喧騒の中心に割って入る。
「あ、若先生」
「……志摩、君?」
とうに気づいていたのはおくびにも出さない。
挨拶のように片手をあげると、燐はびくんと固まった。
ゆきお?と唇を動かして、そろりと目線を移す。
途方に暮れた子どもみたいだと呆れつつ、麻痺していた痛みが襲ってきて顔をしかめた。
(あかん、ズキズキするわ。奥村君思いっきり殴ってくるんやもん)
雪男は予想以上に驚いたようだ。塾の外でこんなふうに顔を合わせることになるとは。
「何してるんだ、二人とも」
深く溜め息を吐いて、とりあえず手当をするからと見物人を散らして医務室に連行された。
+ + + + +
養護教諭は不在だった。
勝手知ったるとばかりに戸棚の鍵を開けて(医工騎士には権限が与えられている)、薬品やら器具を取り出しつつ、雪男は燐に指示をした。
「塗り薬が切れてる。兄さん、部屋の僕の机から緑のラベルが貼ってある瓶を取ってきて」
ざっと見渡した所、燐は明らかに軽傷で、対して志摩の方は歩くのもふらつき気味だった。
腕力差を考えれば当然ともいえるが、途中で加減もしなかったのか。
他よりは近しい相手だからだろうか?
「――おう」
数分前まで喧嘩していた相手のために動けと命じられ、燐は不服そうだったが、ばつが悪そうに頷いて旧男子寮へ向かった。
血が昇っていた頭が冷えたのかもしれない。友人と諍った経験などなかっただろうし、やり過ぎたと互いが反省したなら、きっとすぐ仲直り出来ることだろう。
もっとも、どうして殴り合いにまで発展したかによるが。
椅子に志摩を座らせ、打ち身の手当てをする。飄々ととらえどころのない性格だと感じていたが、拗ねた表情もするのか。
彼に関しては知らないことだらけだと雪男は思う。
「……君は兄の馬鹿力をわかってるでしょう。どうしてこんなことになったんです」
「男には退けへん勝負っちゅうもんがあるんです」
視線を逸らされ、これ以上は聞くなと言われた気がした。
「できれば絶交とかしないでくださいね。君は兄にとって貴重な友人なんだから」
「奥村先生に頼まれんかて。――わかってます、せやから俺と居る時は“奥村君”の話はなるべくせんでください。先生のこと、教えてください……」
低い声で懇願され、途端に包帯を巻く手つきが鈍くなる。
「僕のことは今はどうでもいいでしょう」
すぐに兄が戻るのに、そんな話をしたところで何の益になるだろう。
「じゃあ、また改めて」
すっかりいつもの調子でへらりと笑って、志摩はもう元気そうで。心配したのが馬鹿みたいだ。
『俺、もっと先生のことが知りたいんです』
どこまで本気かわからない告白を受けたのが春の終わり。
女子への予行演習ですか、と歯牙にもかけないでいると、とんでもないと首を振って、あろうことか好きだと続けた。
『あんたのことが好きや』
からかうのは大概にして欲しい。同性というのを置いても、雪男には余裕がない。兄の素性を隠し通すことで一杯一杯なのに。
じゃあ、その心配がなければどんな返事をする?
『それは、どうも。僕は好きでも嫌いでもないよ、志摩君のこと』
きっぱり断ったのに微笑する彼の思考回路はどうなっているのだろう。揺らいだのを見透かされたようで気分が悪い。
あれから二ヶ月が経とうとしているのに、懲りずに忘れたタイミングで告白を仕掛けてくるのだ。
いい加減諦めてくれたら、変に緊張して接することもなくなるのに。
+ + + + +
手当を終えてそれぞれの部屋に帰って、燐はずっと黙りこんでいた。兄さんもしかして頭でも打ったの?と心配されてしまう程度には。
胸に抱えたもやもやが取れない。志摩と喧嘩した理由には雪男が絡んでいるが、本人には決して教えまい。
『あんまり、先生に心配かけんとき?』
心なしか棘の混じった調子が訝しく、口を挟むなと言い返した。
いつの間にかお互い手を出していたけれど、劣勢になっても止めようとしない志摩に燐はますます腹を立てた。
(なんで志摩が雪男のことで俺に忠告してくるんだよ)
介入するな。俺たち兄弟のことは放っておいてくれ。――拳を繰り出す合間に喚いていたような気がする。
不貞腐れてベッドに転がった燐の傍らに、弟がそっと腰を降ろす気配がした。
「明日の塾でちゃんと謝りなよ」
志摩君に――紡がれた名前に特別な響きが含まれているように疑ってしまう。
仲直りしたいでしょ、と。
触れてきた手は昔から馴れ親しんできた体温だった。たしかに表面上は何ら変わっていないのだけれど。
のそりと身体を起こし、ずっと引っ掛かっていたことを伝える。
「あのとき雪男は、真っ先に志摩の方を心配したよな」
燐は見た。自分を止めに駈けつけたはずの弟が、見つけた瞬間意識をそちらに向けていた。
「当たり前だろ、常人に兄さんの馬鹿力は危ないんだから」
呆れながら諫めようとした言葉の先を封じる。
「志摩じゃなくてもそうしたか? 中学時代、俺の喧嘩相手になんか興味も示さなかったお前が」
いつの間にか身体は離れていた。どちらからも少しずつ遠ざかった結果だ。
どうでもいい奴らとの喧嘩なら、弟が“その後”にまで干渉してくるようなことは決して有り得なかった。
まだ誤魔化せると踏んでいるなら往生際が悪い。
「志摩が大事なら正直に言えよ、なあ」
俺よりも、という単語は呑みこんだが、縋るような目つきで悟られたのかもしれない。
「なわけ、ないだろ……」
放たれた語尾は震えていた。
雪男は燐にとって唯一無二の存在だった。弟に自分以上に特別な誰かが現れるなんて、考えたこともなかったのだ。
どちらともなく瞳を逸らす。否定も肯定も出来ず項垂れる様子を燐は可哀想だと思ったが、触れようと近づくことはしなかった。声も届かない距離が今の自分たちには相応しいのだろう。
やがて雪男は音もなく立ちあがって扉に手を掛けた。
ひとりになりたかったのか、それとも志摩の所に向かったのか。
――これじゃあ、どっちにとっての監獄だかわかりゃしない。
「ごめん、兄さん」
去り際、消え入りそうな呟きが聞こえた。気のせいにできない自分の耳の良さを恨みたくなる。
(だって謝って欲しいんじゃない)
どうしたらいいか、わからないんだ。
塾のない放課後、図書館で自習を進めていた雪男は、近くの中庭で起こったらしい騒ぎに軽く目瞬きした。
静かな空間を求めてここに来たのに、利用者どころか受付カウンターの職員まで興味津々で私語を注意しようともしない。雪男には正直迷惑な状況だが。
野次馬は人の多い場所に流れてくる。ひそめたつもりの声は存外響くもので、雪男は予習を諦めてノートを閉じた。早めに寮に引き上げようと荷物をまとめる。
すると、入口から遠い席の雪男の肩をわざわざ捜したのか、肩を叩く者が現れた。
振り返った先には一応面識があるクラスメート。面倒だな、と表情には出さず思い耳を傾ける。
囁きの内容にこめかみを押さえた。
“あっちで暴れてるの、奥村君のお兄さんじゃない?”
+ + + + +
振り上げかけた拳を止めた。息せき切って走ってくる眼鏡の彼を視界の端に認めたので。
志摩の知る限りでも彼の余裕のない姿を目にするのは数回目で、その全てが兄絡みだった。本人たちが自覚していないにしろ実に明確な弱点であろう。
その燐が人目もはばからず争いに興じていると聞いて、慌ててやって来たのだろう。脇に抱えたファイルからはみだした紙束が風に揺れて舞う。
整然とした並びが乱れても構わずに、喧騒の中心に割って入る。
「あ、若先生」
「……志摩、君?」
とうに気づいていたのはおくびにも出さない。
挨拶のように片手をあげると、燐はびくんと固まった。
ゆきお?と唇を動かして、そろりと目線を移す。
途方に暮れた子どもみたいだと呆れつつ、麻痺していた痛みが襲ってきて顔をしかめた。
(あかん、ズキズキするわ。奥村君思いっきり殴ってくるんやもん)
雪男は予想以上に驚いたようだ。塾の外でこんなふうに顔を合わせることになるとは。
「何してるんだ、二人とも」
深く溜め息を吐いて、とりあえず手当をするからと見物人を散らして医務室に連行された。
+ + + + +
養護教諭は不在だった。
勝手知ったるとばかりに戸棚の鍵を開けて(医工騎士には権限が与えられている)、薬品やら器具を取り出しつつ、雪男は燐に指示をした。
「塗り薬が切れてる。兄さん、部屋の僕の机から緑のラベルが貼ってある瓶を取ってきて」
ざっと見渡した所、燐は明らかに軽傷で、対して志摩の方は歩くのもふらつき気味だった。
腕力差を考えれば当然ともいえるが、途中で加減もしなかったのか。
他よりは近しい相手だからだろうか?
「――おう」
数分前まで喧嘩していた相手のために動けと命じられ、燐は不服そうだったが、ばつが悪そうに頷いて旧男子寮へ向かった。
血が昇っていた頭が冷えたのかもしれない。友人と諍った経験などなかっただろうし、やり過ぎたと互いが反省したなら、きっとすぐ仲直り出来ることだろう。
もっとも、どうして殴り合いにまで発展したかによるが。
椅子に志摩を座らせ、打ち身の手当てをする。飄々ととらえどころのない性格だと感じていたが、拗ねた表情もするのか。
彼に関しては知らないことだらけだと雪男は思う。
「……君は兄の馬鹿力をわかってるでしょう。どうしてこんなことになったんです」
「男には退けへん勝負っちゅうもんがあるんです」
視線を逸らされ、これ以上は聞くなと言われた気がした。
「できれば絶交とかしないでくださいね。君は兄にとって貴重な友人なんだから」
「奥村先生に頼まれんかて。――わかってます、せやから俺と居る時は“奥村君”の話はなるべくせんでください。先生のこと、教えてください……」
低い声で懇願され、途端に包帯を巻く手つきが鈍くなる。
「僕のことは今はどうでもいいでしょう」
すぐに兄が戻るのに、そんな話をしたところで何の益になるだろう。
「じゃあ、また改めて」
すっかりいつもの調子でへらりと笑って、志摩はもう元気そうで。心配したのが馬鹿みたいだ。
『俺、もっと先生のことが知りたいんです』
どこまで本気かわからない告白を受けたのが春の終わり。
女子への予行演習ですか、と歯牙にもかけないでいると、とんでもないと首を振って、あろうことか好きだと続けた。
『あんたのことが好きや』
からかうのは大概にして欲しい。同性というのを置いても、雪男には余裕がない。兄の素性を隠し通すことで一杯一杯なのに。
じゃあ、その心配がなければどんな返事をする?
『それは、どうも。僕は好きでも嫌いでもないよ、志摩君のこと』
きっぱり断ったのに微笑する彼の思考回路はどうなっているのだろう。揺らいだのを見透かされたようで気分が悪い。
あれから二ヶ月が経とうとしているのに、懲りずに忘れたタイミングで告白を仕掛けてくるのだ。
いい加減諦めてくれたら、変に緊張して接することもなくなるのに。
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手当を終えてそれぞれの部屋に帰って、燐はずっと黙りこんでいた。兄さんもしかして頭でも打ったの?と心配されてしまう程度には。
胸に抱えたもやもやが取れない。志摩と喧嘩した理由には雪男が絡んでいるが、本人には決して教えまい。
『あんまり、先生に心配かけんとき?』
心なしか棘の混じった調子が訝しく、口を挟むなと言い返した。
いつの間にかお互い手を出していたけれど、劣勢になっても止めようとしない志摩に燐はますます腹を立てた。
(なんで志摩が雪男のことで俺に忠告してくるんだよ)
介入するな。俺たち兄弟のことは放っておいてくれ。――拳を繰り出す合間に喚いていたような気がする。
不貞腐れてベッドに転がった燐の傍らに、弟がそっと腰を降ろす気配がした。
「明日の塾でちゃんと謝りなよ」
志摩君に――紡がれた名前に特別な響きが含まれているように疑ってしまう。
仲直りしたいでしょ、と。
触れてきた手は昔から馴れ親しんできた体温だった。たしかに表面上は何ら変わっていないのだけれど。
のそりと身体を起こし、ずっと引っ掛かっていたことを伝える。
「あのとき雪男は、真っ先に志摩の方を心配したよな」
燐は見た。自分を止めに駈けつけたはずの弟が、見つけた瞬間意識をそちらに向けていた。
「当たり前だろ、常人に兄さんの馬鹿力は危ないんだから」
呆れながら諫めようとした言葉の先を封じる。
「志摩じゃなくてもそうしたか? 中学時代、俺の喧嘩相手になんか興味も示さなかったお前が」
いつの間にか身体は離れていた。どちらからも少しずつ遠ざかった結果だ。
どうでもいい奴らとの喧嘩なら、弟が“その後”にまで干渉してくるようなことは決して有り得なかった。
まだ誤魔化せると踏んでいるなら往生際が悪い。
「志摩が大事なら正直に言えよ、なあ」
俺よりも、という単語は呑みこんだが、縋るような目つきで悟られたのかもしれない。
「なわけ、ないだろ……」
放たれた語尾は震えていた。
雪男は燐にとって唯一無二の存在だった。弟に自分以上に特別な誰かが現れるなんて、考えたこともなかったのだ。
どちらともなく瞳を逸らす。否定も肯定も出来ず項垂れる様子を燐は可哀想だと思ったが、触れようと近づくことはしなかった。声も届かない距離が今の自分たちには相応しいのだろう。
やがて雪男は音もなく立ちあがって扉に手を掛けた。
ひとりになりたかったのか、それとも志摩の所に向かったのか。
――これじゃあ、どっちにとっての監獄だかわかりゃしない。
「ごめん、兄さん」
去り際、消え入りそうな呟きが聞こえた。気のせいにできない自分の耳の良さを恨みたくなる。
(だって謝って欲しいんじゃない)
どうしたらいいか、わからないんだ。
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