つむぎとうか
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たのしい柔蝮一家
未来捏造注意
志摩家の朝は早い。
寺門に生まれた者の宿命である。明陀宗僧正家の一角を担う廉造の生家とて決して例外ではなく、寝坊してしまえば冬のぬくぬくした布団という誘惑も効かないほど怖い父・八百造の怒号を浴びせられること請け合いだ。
京都出張所勤務、中一級祓魔師である廉造は表向き面倒くさがりを装っているが、実は情に厚く困った者は見捨てられない。何ヶ月か共に過ごせばわかることだ。照れもあってか斜に構えて肩を竦めてみせる彼の優しさを、年長者は微笑ましく見守り、部下たちはこっそり憧れている(ちやほやすると調子に乗るため、あくまでこっそりと)。
そんな廉造は、高校時代からのアイデンティティである明るい髪色のせいもあってか、任務先に居合わせるお子様たちにも大人気である。末っ子気質が抜けないのか、お兄さん、というよりは同類に見なされているきらいがあるのが涙を誘うが。 どたばたと、幼い体躯に似合わぬ大きな足音を立てて階段を昇ってくる気配。嫌な予感に眉根を寄せたが遅い。入室してきたもみじのような手のひらに温かく覆っていた布地を剥がれ、逃げ場を塞がれる。
この小さな目覚ましが来てから、低血圧な廉造が朝食抜きで出勤する回数は大幅に減った。
「起きい、おじさん、ばーちゃんが支度できたし呼んでこい、って」
「うー、あと五分くらいええやん……」
「あかん、みそしる冷める」
血を分けた甥っ子は、彼に対して容赦しなかった。
よろよろと居間に顔を出せば、並んで座った甥っ子に、情けないかおやなあ、と深いため息を吐かれた。お前のお父とおんなじ顔や、と額を突けば、幼稚園児相手に大人げない、と母に睨まれた。素知らぬ顔で食前の合掌。「今日の送り迎えはおじさんやで、よろしゅう」
神妙にお願いされて鼻白む。こどものくせに遠慮しすぎじゃないか。
「おう、ええ子にしいや」
くしゃりと、父譲りの黒色だがさらさらとした髪を撫でると、母から継いだ淡い琥珀の双眸が細められた。
次兄の一人息子である少年が、一時的に預けられて三ヶ月が経つ。
「ほれ、つかまり」
剛胆そうなくせに、未だどこか遠慮がある甥っ子は、自転車に乗る廉造の背中に腕を回した。
そっと、そのくせ縋るような触れ方に歯痒さが募る。
くるりと振り返って、廉造は甥の手を導くように自分の腰を掴ませる。落ちてしまったら危ないから。
春には卒園を控えた、6つになったばかりの少年。幼いのにやたらと我慢づよく、多忙な両親にはわがままさえ滅多に言わないと、兄夫婦から聞いている。 朝の目覚ましが強力なのは、母や姉に「何が何でも起こしてきて」と頼まれているせいだ。
(そういうとこは義姉さんに似たんかもなあ)
柔造も大概だが、蝮の自制心といったら驚嘆に値すべきものだった。廉造の記憶では、寺が貧乏な時期に他の子どもたちの手本となるほどの辛抱強さだった。彼女を眺めていると、驕りや贅沢がとても浅ましいものだとわかった。
あの頃と比べて、暮らし向きは豊かになったが、柔造と蝮の子どもが無闇に欲張りに育つはずがない。
(せやけど、今日はうきうきしてるみたいや)
風を切ってペダルを漕ぎながら、廉造は思った。このぶんだと、幼稚園でも甥の上機嫌は保たれたままだろう。
何といっても、夕方には待ちに待った両親が迎えに来るのだから。
――新しい家族を伴って。
現在は独居している柔造の妻である蝮が、息子の世話を義理の両親に託したのは、妊娠中毒症が重く、出産までの入院を余儀なくされたという事情による。
かつて不浄王の右目から濃い瘴気を受け、失明にまで至った蝮の状態は、決して保障できるものではなかった。その身体で二度目の出産は厳しい、と宣告され、泣き伏した次兄を励ますくらい気丈にふるまってはいたが。
堕胎するくらいなら舌噛み切る、と啖呵を切って出産を決意した蝮が格好良かった。気圧されて頷いた柔造の方がひどく間抜けな表情をしていた。
すんません、万一ん時はこの子をお願いします、とベッドで土下座する勢いで頭を下げた兄嫁に、母はぴしっと叱りつけた。『万一、なんて、考えるんもあきまへん。あんさんはお腹の子を産んで元気になって戻るんや、そうやないと許さへん』
すぐ後ろでせやせや、と首を縦に振っていた宝生家の奥方、傍らには心配で血の気を失った八百造と蟒が仲良く硬直していた。
青と錦は震えながらもしっかり立っていたが、金造も廉造も腰を抜かす寸前であった。こういう時の男は無力である。
『わかりました。……お義母さん、おおきに』
しっかり者で姉のように思っていた蝮が弱々しく儚く微笑む様子を、志摩家の男たちは眩しく見つめるしかなかった。
それから、季節を跨ぎ、予定日が迫った。
次兄は職場と病院の往復のような生活を送っており、息子の世話もしたいそうだが、孫可愛がる機会奪う気か?と母に怒られすごすご引き下がった。彼は妻のことだけ気に掛けていればいい。 出張所の窓から雪景色がのぞき、休憩中のお茶がいっそう美味しく感じられるような冴えわたる冷気のなか、そのニュースはもたらされた。
「生まれた――女の子や、蝮も無事やでぇ!!」
叫んだきり、玄関先に転がった柔造が次に顔を上げると、駆け寄ってきた職員たちにもみくちゃにされた。
第一報から十日、今日は蝮と生まれて間もない姪の退院日である。
柔造は息子に会うためちょくちょく実家に顔を出していたが、面会謝絶を言い渡されていた蝮は実に三ヶ月ぶりに我が子を抱きしめるのである。落ち着けといっても無理な話だろう。
幼稚園から帰宅して手洗いうがいをすませ、こたつで待機していた甥が、玄関の呼び鈴に神速で反応した。さすがは風の子、こたつに未練もなさげだ。「――母さま、おかえりなさい!!!」
「ただいま」
蝮は飛びついてきた息子の体温をぎゅっと味わって、ついて来た廉造に挨拶した。
「世話になったなあ、廉造。ぎょうさん遊んでくれたか、“伯父さん”?」
「ちっがうし、おれがおじさんと遊んだげたんやで、なあ?」
朝の遠慮がちな様子はどこへやら、母の裾を掴んで不敵に笑う少年に、やっぱりそっちが素やんな、と噴き出した。両親と離れた寂しさなど消えてしまったのだろう。蝮は苦笑して、未だ車内にいる夫を手招いた。
柔造はしっかりと娘を抱きかかえ、息子に会わせた。
小さな指が、もっとちいさなふにゃふにゃのからだに触れる。
「この子が、おれのいもうと……」
「せや、父さまにも母さまにもそっくりやろ?」
「やったら、おれにもそっくりやね」
いまはさるみたいやけど、と僅かに唇を尖らせた少年に、蝮は笑いを堪えた。大きくなっても、自分は夫を申、申と呼び続けていたことを思い出して。
「女やし、きっと別嬪さんにならはるなあ」
廉造の笑みに柔造は不安をおぼえた。娘を持った父親特有の危機感が早くも暴走寸前である。
(娘やったからには、パパとけっこんするー、って聞かせてもらわな!)
お前にはぜったいやらへんで、などと、末の弟を犯罪者のように睨みつけるのだった。
おしゃべりが達者になった娘が、「私きんにいのおよめさんになるー」と言い放ち、四男が五男のからかいと次男の恨みを受けるようになるのは、これから数年先の未来のこと。
寺門に生まれた者の宿命である。明陀宗僧正家の一角を担う廉造の生家とて決して例外ではなく、寝坊してしまえば冬のぬくぬくした布団という誘惑も効かないほど怖い父・八百造の怒号を浴びせられること請け合いだ。
京都出張所勤務、中一級祓魔師である廉造は表向き面倒くさがりを装っているが、実は情に厚く困った者は見捨てられない。何ヶ月か共に過ごせばわかることだ。照れもあってか斜に構えて肩を竦めてみせる彼の優しさを、年長者は微笑ましく見守り、部下たちはこっそり憧れている(ちやほやすると調子に乗るため、あくまでこっそりと)。
そんな廉造は、高校時代からのアイデンティティである明るい髪色のせいもあってか、任務先に居合わせるお子様たちにも大人気である。末っ子気質が抜けないのか、お兄さん、というよりは同類に見なされているきらいがあるのが涙を誘うが。 どたばたと、幼い体躯に似合わぬ大きな足音を立てて階段を昇ってくる気配。嫌な予感に眉根を寄せたが遅い。入室してきたもみじのような手のひらに温かく覆っていた布地を剥がれ、逃げ場を塞がれる。
この小さな目覚ましが来てから、低血圧な廉造が朝食抜きで出勤する回数は大幅に減った。
「起きい、おじさん、ばーちゃんが支度できたし呼んでこい、って」
「うー、あと五分くらいええやん……」
「あかん、みそしる冷める」
血を分けた甥っ子は、彼に対して容赦しなかった。
よろよろと居間に顔を出せば、並んで座った甥っ子に、情けないかおやなあ、と深いため息を吐かれた。お前のお父とおんなじ顔や、と額を突けば、幼稚園児相手に大人げない、と母に睨まれた。素知らぬ顔で食前の合掌。「今日の送り迎えはおじさんやで、よろしゅう」
神妙にお願いされて鼻白む。こどものくせに遠慮しすぎじゃないか。
「おう、ええ子にしいや」
くしゃりと、父譲りの黒色だがさらさらとした髪を撫でると、母から継いだ淡い琥珀の双眸が細められた。
次兄の一人息子である少年が、一時的に預けられて三ヶ月が経つ。
「ほれ、つかまり」
剛胆そうなくせに、未だどこか遠慮がある甥っ子は、自転車に乗る廉造の背中に腕を回した。
そっと、そのくせ縋るような触れ方に歯痒さが募る。
くるりと振り返って、廉造は甥の手を導くように自分の腰を掴ませる。落ちてしまったら危ないから。
春には卒園を控えた、6つになったばかりの少年。幼いのにやたらと我慢づよく、多忙な両親にはわがままさえ滅多に言わないと、兄夫婦から聞いている。 朝の目覚ましが強力なのは、母や姉に「何が何でも起こしてきて」と頼まれているせいだ。
(そういうとこは義姉さんに似たんかもなあ)
柔造も大概だが、蝮の自制心といったら驚嘆に値すべきものだった。廉造の記憶では、寺が貧乏な時期に他の子どもたちの手本となるほどの辛抱強さだった。彼女を眺めていると、驕りや贅沢がとても浅ましいものだとわかった。
あの頃と比べて、暮らし向きは豊かになったが、柔造と蝮の子どもが無闇に欲張りに育つはずがない。
(せやけど、今日はうきうきしてるみたいや)
風を切ってペダルを漕ぎながら、廉造は思った。このぶんだと、幼稚園でも甥の上機嫌は保たれたままだろう。
何といっても、夕方には待ちに待った両親が迎えに来るのだから。
――新しい家族を伴って。
現在は独居している柔造の妻である蝮が、息子の世話を義理の両親に託したのは、妊娠中毒症が重く、出産までの入院を余儀なくされたという事情による。
かつて不浄王の右目から濃い瘴気を受け、失明にまで至った蝮の状態は、決して保障できるものではなかった。その身体で二度目の出産は厳しい、と宣告され、泣き伏した次兄を励ますくらい気丈にふるまってはいたが。
堕胎するくらいなら舌噛み切る、と啖呵を切って出産を決意した蝮が格好良かった。気圧されて頷いた柔造の方がひどく間抜けな表情をしていた。
すんません、万一ん時はこの子をお願いします、とベッドで土下座する勢いで頭を下げた兄嫁に、母はぴしっと叱りつけた。『万一、なんて、考えるんもあきまへん。あんさんはお腹の子を産んで元気になって戻るんや、そうやないと許さへん』
すぐ後ろでせやせや、と首を縦に振っていた宝生家の奥方、傍らには心配で血の気を失った八百造と蟒が仲良く硬直していた。
青と錦は震えながらもしっかり立っていたが、金造も廉造も腰を抜かす寸前であった。こういう時の男は無力である。
『わかりました。……お義母さん、おおきに』
しっかり者で姉のように思っていた蝮が弱々しく儚く微笑む様子を、志摩家の男たちは眩しく見つめるしかなかった。
それから、季節を跨ぎ、予定日が迫った。
次兄は職場と病院の往復のような生活を送っており、息子の世話もしたいそうだが、孫可愛がる機会奪う気か?と母に怒られすごすご引き下がった。彼は妻のことだけ気に掛けていればいい。 出張所の窓から雪景色がのぞき、休憩中のお茶がいっそう美味しく感じられるような冴えわたる冷気のなか、そのニュースはもたらされた。
「生まれた――女の子や、蝮も無事やでぇ!!」
叫んだきり、玄関先に転がった柔造が次に顔を上げると、駆け寄ってきた職員たちにもみくちゃにされた。
第一報から十日、今日は蝮と生まれて間もない姪の退院日である。
柔造は息子に会うためちょくちょく実家に顔を出していたが、面会謝絶を言い渡されていた蝮は実に三ヶ月ぶりに我が子を抱きしめるのである。落ち着けといっても無理な話だろう。
幼稚園から帰宅して手洗いうがいをすませ、こたつで待機していた甥が、玄関の呼び鈴に神速で反応した。さすがは風の子、こたつに未練もなさげだ。「――母さま、おかえりなさい!!!」
「ただいま」
蝮は飛びついてきた息子の体温をぎゅっと味わって、ついて来た廉造に挨拶した。
「世話になったなあ、廉造。ぎょうさん遊んでくれたか、“伯父さん”?」
「ちっがうし、おれがおじさんと遊んだげたんやで、なあ?」
朝の遠慮がちな様子はどこへやら、母の裾を掴んで不敵に笑う少年に、やっぱりそっちが素やんな、と噴き出した。両親と離れた寂しさなど消えてしまったのだろう。蝮は苦笑して、未だ車内にいる夫を手招いた。
柔造はしっかりと娘を抱きかかえ、息子に会わせた。
小さな指が、もっとちいさなふにゃふにゃのからだに触れる。
「この子が、おれのいもうと……」
「せや、父さまにも母さまにもそっくりやろ?」
「やったら、おれにもそっくりやね」
いまはさるみたいやけど、と僅かに唇を尖らせた少年に、蝮は笑いを堪えた。大きくなっても、自分は夫を申、申と呼び続けていたことを思い出して。
「女やし、きっと別嬪さんにならはるなあ」
廉造の笑みに柔造は不安をおぼえた。娘を持った父親特有の危機感が早くも暴走寸前である。
(娘やったからには、パパとけっこんするー、って聞かせてもらわな!)
お前にはぜったいやらへんで、などと、末の弟を犯罪者のように睨みつけるのだった。
おしゃべりが達者になった娘が、「私きんにいのおよめさんになるー」と言い放ち、四男が五男のからかいと次男の恨みを受けるようになるのは、これから数年先の未来のこと。
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