つむぎとうか
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遠くまで 4
自覚する瞬間
弟が倒れたという。連絡してきたのは見知らぬ男性だった。明後日に入学式なのに何やってるんだ、自分じゃあるまいし。
わかりやすく機嫌を損ねていると、修道院メンバーのからかいの的となった。――お前、いい加減弟離れしろって。
やかましい。燐でなくとも心配になるだろう、雪男は絵に描いたような優等生なのだから。
獅郎が亡くなってずっとしめやかだった空気が、ようやく和らいできて。朝から弟がいないのには気づいていた。どこか遊びに行ったんだろう、真面目な奴だから図書館で勉強しているのかもしれないが。
電話口のやけに落ち着いた声が、妙に癪に障った。雪男の同級生とかそんな雰囲気ではなかった。若くて、でも堅苦しい感じはなく、――ちゃんと元気にして帰すからと、どこか自信ありげな様子で。
(何者だよちくしょう)
さっさと戻れよ、と替わってもらおうとしたら遮られた。まだ寝ているのだそうだ。
むかむかしたからさっさと切って、男の名前も、どこにいるのかさえも聞き忘れてしまった。
「今の、兄だったんでしょう?」
寝息を立てていたはずの雪男は、夜が背を向けて通話しているうちに目を覚ました。会うなり力が抜けた己が不甲斐なくて、布団を被りつつ落ちこんだけれど、体調不良に今まで耐えていたことを怒られはしなかった。ただ撫でられた。
ここは夜のアパートで、横たわっているのは彼が普段使っている布団である。借りるなんて申し訳なかったが、悪魔だから別に眠らなくても平気だ、といなされた。
「メフィストの奴が番号教えてくれたからな。別にお前の携帯アドレス覗いたわけじゃねえから安心しろ」
そんな心配は最初からしていないが、夜に会ってから何時間が経過したのかが気になった。一日だと約束した。
壁時計の文字盤はぼやけて見えない。眼鏡を掛けていないのだから当然だ。わかるのは枕元に夜が付き添ってくれていることくらい。
「……何時ですか」
「19時だ。どうした、腹でも減ったか」
熱あるんだし寝てろ、と宥められたが。身体を起こそうとして押し戻される。布団は温かいがいつまでも甘えていてはいけないのだ。
祓魔師になって以来、いや訓練に慣れた頃から発熱した経験など皆無に近いのに。夜の前では本当に情けない姿を晒してばかりいる。もしやずっとついていてくれたのだろうか。
十中八九そうだ。彼の優しさは良く知っているつもりだから。
「メシ、すぐ出来るから」
いい子で待ってろ、と頬をなぞられた。至近距離でとらえた紅い双眸は綺麗で、裸眼でなければ赤面していたに違いない。
台所に立つ背中は兄と違ってどこかたどたどしいが、誰かのために料理しているという点では一緒だ。夜の自宅に上げてもらい、あまつさえ看病されるだなんて事態は予測していなかったけれど。
任務や学校行事以外で遠出したのは初めてかもしれない。
(あまり、生活感のない部屋だな)
仕事ばかりで寄りつかないせいか。彼は決して几帳面でないが、物が極端に少なければ散らかりようもない。
ぼうっとした頭で、雪男は帰着の算段を立てた。上級祓魔師である夜は明日には任務に戻らなければいけないだろう。今晩のうちに世話になった礼を述べて去らなければ迷惑が掛かる。
「おい雪男、食わねえの。食えねえの?」
気が付けば小鍋を抱えた夜が目の前にいて、湯気の立ったスープ皿を差し出される。深い皿にごろごろ野菜が見え隠れする、これはポトフか。消化によさそうなメニューだ。
「ひとりで食べられますほんと僕のこといくつだと思ってるんですか」
「病人にスプーン振り回されたら危ないんだよじっとしてろ馬鹿」
結局、スプーンを握った夜の手で食事を手伝われる羽目になった。誰も見ていないとはいえ恥ずかしい。おかげで肝心の味がわからなかったが、雪男以上燐未満といったところだろう。つまりはごく平均的な腕の持ち主だ。
悪魔を倒す悪魔で、何十年も戦い続ける夜が、ワンルームのアパートで病人に料理を食べさせている。なんとも不思議な光景だ。
(会って、話をするだけで充分だったんだけどな)
小鍋の中身が空になると、もう一回寝ろと命じられた。あやすように抱きしめられる。
じわり、養父の死から封印していた涙が滲んだ。
「存分に泣いとけ。修道院には明日の昼に戻すって言ってあるから」
「だって夜さん、仕事、はっ」
しゃくりあげながら問えば、明後日まで有給だよ、と返された。
「お前と過ごしたくて取った休暇だから、全快したとしても今夜は帰さないっつの」
「僕が女性じゃなくて本当に良かったですね」
特別な関係でもないのに、勘違いされてしまいますよ。あなた好きなひとがいるんでしょう?
「好きなひとはいたけど、俺が泣いてる奴放っといたら余計怒ったと思う」
過去形の連なりに、口を滑らせたと後悔する。
「雪男に会ったのは、彼女の死んだ直後なんだ」
だから、勝手だけど大事にしたいんだ、お前のことも。
夜がどんな表情をしているのかわからないけれど。
泣いている途中で助かった。胸の痛みを誤魔化さずに済む。
(どうやら僕は、あなたが好きだったんです)
初めての恋をした。
――優しく強い悪魔に。
わかりやすく機嫌を損ねていると、修道院メンバーのからかいの的となった。――お前、いい加減弟離れしろって。
やかましい。燐でなくとも心配になるだろう、雪男は絵に描いたような優等生なのだから。
獅郎が亡くなってずっとしめやかだった空気が、ようやく和らいできて。朝から弟がいないのには気づいていた。どこか遊びに行ったんだろう、真面目な奴だから図書館で勉強しているのかもしれないが。
電話口のやけに落ち着いた声が、妙に癪に障った。雪男の同級生とかそんな雰囲気ではなかった。若くて、でも堅苦しい感じはなく、――ちゃんと元気にして帰すからと、どこか自信ありげな様子で。
(何者だよちくしょう)
さっさと戻れよ、と替わってもらおうとしたら遮られた。まだ寝ているのだそうだ。
むかむかしたからさっさと切って、男の名前も、どこにいるのかさえも聞き忘れてしまった。
「今の、兄だったんでしょう?」
寝息を立てていたはずの雪男は、夜が背を向けて通話しているうちに目を覚ました。会うなり力が抜けた己が不甲斐なくて、布団を被りつつ落ちこんだけれど、体調不良に今まで耐えていたことを怒られはしなかった。ただ撫でられた。
ここは夜のアパートで、横たわっているのは彼が普段使っている布団である。借りるなんて申し訳なかったが、悪魔だから別に眠らなくても平気だ、といなされた。
「メフィストの奴が番号教えてくれたからな。別にお前の携帯アドレス覗いたわけじゃねえから安心しろ」
そんな心配は最初からしていないが、夜に会ってから何時間が経過したのかが気になった。一日だと約束した。
壁時計の文字盤はぼやけて見えない。眼鏡を掛けていないのだから当然だ。わかるのは枕元に夜が付き添ってくれていることくらい。
「……何時ですか」
「19時だ。どうした、腹でも減ったか」
熱あるんだし寝てろ、と宥められたが。身体を起こそうとして押し戻される。布団は温かいがいつまでも甘えていてはいけないのだ。
祓魔師になって以来、いや訓練に慣れた頃から発熱した経験など皆無に近いのに。夜の前では本当に情けない姿を晒してばかりいる。もしやずっとついていてくれたのだろうか。
十中八九そうだ。彼の優しさは良く知っているつもりだから。
「メシ、すぐ出来るから」
いい子で待ってろ、と頬をなぞられた。至近距離でとらえた紅い双眸は綺麗で、裸眼でなければ赤面していたに違いない。
台所に立つ背中は兄と違ってどこかたどたどしいが、誰かのために料理しているという点では一緒だ。夜の自宅に上げてもらい、あまつさえ看病されるだなんて事態は予測していなかったけれど。
任務や学校行事以外で遠出したのは初めてかもしれない。
(あまり、生活感のない部屋だな)
仕事ばかりで寄りつかないせいか。彼は決して几帳面でないが、物が極端に少なければ散らかりようもない。
ぼうっとした頭で、雪男は帰着の算段を立てた。上級祓魔師である夜は明日には任務に戻らなければいけないだろう。今晩のうちに世話になった礼を述べて去らなければ迷惑が掛かる。
「おい雪男、食わねえの。食えねえの?」
気が付けば小鍋を抱えた夜が目の前にいて、湯気の立ったスープ皿を差し出される。深い皿にごろごろ野菜が見え隠れする、これはポトフか。消化によさそうなメニューだ。
「ひとりで食べられますほんと僕のこといくつだと思ってるんですか」
「病人にスプーン振り回されたら危ないんだよじっとしてろ馬鹿」
結局、スプーンを握った夜の手で食事を手伝われる羽目になった。誰も見ていないとはいえ恥ずかしい。おかげで肝心の味がわからなかったが、雪男以上燐未満といったところだろう。つまりはごく平均的な腕の持ち主だ。
悪魔を倒す悪魔で、何十年も戦い続ける夜が、ワンルームのアパートで病人に料理を食べさせている。なんとも不思議な光景だ。
(会って、話をするだけで充分だったんだけどな)
小鍋の中身が空になると、もう一回寝ろと命じられた。あやすように抱きしめられる。
じわり、養父の死から封印していた涙が滲んだ。
「存分に泣いとけ。修道院には明日の昼に戻すって言ってあるから」
「だって夜さん、仕事、はっ」
しゃくりあげながら問えば、明後日まで有給だよ、と返された。
「お前と過ごしたくて取った休暇だから、全快したとしても今夜は帰さないっつの」
「僕が女性じゃなくて本当に良かったですね」
特別な関係でもないのに、勘違いされてしまいますよ。あなた好きなひとがいるんでしょう?
「好きなひとはいたけど、俺が泣いてる奴放っといたら余計怒ったと思う」
過去形の連なりに、口を滑らせたと後悔する。
「雪男に会ったのは、彼女の死んだ直後なんだ」
だから、勝手だけど大事にしたいんだ、お前のことも。
夜がどんな表情をしているのかわからないけれど。
泣いている途中で助かった。胸の痛みを誤魔化さずに済む。
(どうやら僕は、あなたが好きだったんです)
初めての恋をした。
――優しく強い悪魔に。
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