つむぎとうか
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さやかな衣擦れ音と共に、暗い服で目立つのを抑えながら、決められた間隔でドアを叩く。
反応は早く、半開きにされた隙間から室内へ身を押しこんだ。
立ち尽くしたまま、女は顔まで覆っていたベールを外す。
薄暗い空間にさえ、鮮やかな薄紅の髪と空色の瞳が露わになった。
「わざわざ出向いてもらったのは、内密の話があるからだ」
椅子をすすめながら、低い声で兄は告げた。
城の人間の大半を敵か第三者に分類している彼が、自室に招く者は片手で数え足りる。妹を呼ぶ時すら、慎重を期して深夜の訪問を指定するほどだ。
王族としては正しい在り方なのかもしれないが。
視線で続きを促すと、彼は卓上から一通の封筒を拾い掲げた。
「その紋章は、隣国の王室のものじゃありませんか」
「中に目を通してみろ」
それは丁寧な言葉で綴られた招待状だった。
「半月後、世継ぎの妃選びを兼ねて舞踏会を開催する。姫君方のおひとりでも是非、って――、あさっての晩!?」
悠長に候補を選んでいる余裕はない。
「受け取って十日ほど経つから、時間はたっぷりあったな」
「明日の朝に出立しなきゃ間に合いませんよ?」
誰を送るかの相談ではないのか。
「隣国は富み栄えているし、英君の次に控えているのは凡庸と評判の王子だ。――ルカ、お前になら御せるだろう?」
会に出席して、王子の心を奪え。
言い放ったカイトの酷薄な笑みは、意図がそれだけじゃないことを示している。
「隙をついて、亡き者にしてしまえ、ですか」
「さあな?」
順当に王子が跡を継げば、隣国の巨大な軍事力がそのまま温存されるが――
万一彼が死ねば、治権をめぐって争いが起こるは必至。
弱体化した国を攻めれば、容易くカイトの手に収まるだろう。
はっきり口に出したわけではないので、ルカが何かする必要はないのだが。
「卑怯な人」
心底嫌そうな表情でも、否とは言わず、ルカは兄を睨みつけて室を出た。
「・・・うまくやれよ」
声が届いたかどうかはわからないが。
カイトとて妹を大事にしたい気持ちはあるが、部下連中よりもよほど頭が回るルカをただ甘やかすのは勿体ない。
腹違いの弟妹は大勢いるが、母を同じくするのはルカだけ。ほとんど唯一、決してカイトを裏切ることはない存在だ。
継承権をめぐって、他の王族たちとは血みどろの戦いを繰り広げてきたから。
隣国王子はやはり排した方が後々楽だが、ルカはほとぼりが冷めたら良縁を見繕ってもいい。
そのためにも、陰謀が露見して返り討ちにされないように。
(まあ、あいつの心を揺るがす事態なんてそうそうないだろうな)
氷の心臓を持つとは、兄妹ともに言われていること。
相手を誑かして二人きりになってしまえば、彼女はやり遂げるだろう。
(それに、我々には秘薬もある)
代々伝わる猛毒が。
翌早朝に出立したルカは、昼過ぎに隣国との境界線に着いた。
貴人が赴いたということで、手厚い歓迎を受けた。
城の客室まで、なんと国王自ら案内してくれた。
「・・・周りの視線が痛いんですけど」
恐縮していると、人情家で知られる彼はゆるり微笑んだ。
「いや、妃候補を集めると告知したのに、有力貴族たちがこぞって渋ってねー。隣国から姫がいらして下さって、感謝しているのですよ」
民衆にも貴族にも慕われている王に、ただ一人の息子なのに。そんなに不人気なのか。
「貴方の兄上の手腕は各国で評判となってますから、求婚者には困らないでしょう」
「兄は面倒そうに蹴散らしてますけどね」
勿体無い、とため息を吐く。
「あ、その手前の扉です。時間になったら、召使を呼びに参らせますので」
「恐れ入ります、王様。あの、王子はどんな方なんですか?」
噂に違わぬ暗愚っぷりなのか、それとも。
「会えばわかりますよ。舞踏会では、是非踊ってやって下さい」
返答を避けて、老君は笑い皺を深めた。
そういえば、今宵は自国でも定期夜会が開かれるのだったか。
異性への興味を胎内に忘れてきたような兄は、始終退屈そうな顔をしていることだろう。
ドレスを胸に当てながら、束の間、頬を緩める。
形を整えて壁に掛けると、荷物からそっと小瓶を取り出した。
革の手袋を装着して、注意深く蓋を取る。
首飾りの留め金に付けた、極細の針を奥まで浸して。
元の通りに戻すと、微笑むように口の端を上げた。
――さあ、準備は整った。
続く