つむぎとうか
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はじまらなかったはなし
気取られぬ邂逅(第四次聖杯戦争6年前)
柔らかな間接照明が満たす空間。
シティホテルのシングル・ルーム。運の良いことに空き部屋があった。
入室してすぐ、切嗣は荷物を投げるように置き、自分と変わらぬ体躯をそっとベッドに横たえた。
そうして、少しでも楽にさせようとまず全身を眺め渡す。
胸元のリボンタイを緩め、きっちり留められたシャツの第二ボタンまでを外してやる。
少々性急な手つきになってしまったが、意識が朦朧としているためか、何の反応も示さなかった。触れられたことにすら気づいていないのかもしれない。
はあはあと、苦しげに呼吸を乱して、薄く開いた双眸は涙で潤んでいる。
(つくづく、赤の似合う男だ)
染まった頬と、ちろりと覗いた舌が鮮やかにあかい。
平常ならば優雅を崩さない、弱さを晒すのは最も厭うところであろう彼の、この上もなく無防備な状態を目の当たりにして、切嗣は相手を案じる言葉を発した。
「フロントに頼んで、薬を貰いました。大丈夫ですか」
「すみません……ご迷惑、を」
重たげに首を動かして頷いたが、とても大丈夫には見えない。起き上がるのも辛いだろうと判断し、ベッドから一旦離れて、冷蔵庫からミネラルウォーターを調達した。
中身のほとんどを水差しに移して、サイドテーブルに置く。
残りをグラスに注いで片手に持った。薬の包みを解き、彼の側へと戻る。
「遠坂さん、これ」
飲めますか? という問いも耳に届いていないのか、時臣は懸命に手を宙に彷徨わせていた。ぱたぱたと、地上に揚げられた魚のように頼りなげだ。
眠りに就かせるのが一番手っ取り早いだろう。
とにかく薬を服用させようと、効率良く摂取させる方法を思案した。思いついた途端、躊躇なく彼の口元を二本指で割る。
「ん っ、」
指に挟んだ錠剤を手早く押し込んだが、時臣は飲みこめもしないようなので、口移しで嚥下させよう。
病人相手に危険な行為だとは承知しているが、魔術師同士なら手っ取り早い魔力供給にもなる。
切嗣はコップを煽った。乾ききった熱い唇に湿らせた己のものを重ねた。間違って気管に入ってしまわぬよう、慎重に水を飲ませていく。
しばらくすると、時臣の喉がこくりと鳴った。錠剤摂取は滞りなく完了したものらしい。
幾分意識も明瞭になったのか、まっすぐに疑問を浮かべた。
「……あなたも、魔術師なのか……?」
「いいえ、違いますよ遠坂さん。それより早くお休みなさい」
呪文のように囁けば、時臣は安心したようにゆっくりと瞼を閉じていった。
遠坂家当主との接触は、商談というかたちで実現した。
アインツベルンを資金源にした、それらしい取引を持ち掛け、会社員を装って近づいたのである。
目的は来たる聖杯戦争に向けての他陣営の偵察。遠坂からはまず間違いなく当主である時臣が参戦するだろう。やがて敵になるとわかっているなら、調べておくに越したことはない。
ビジネス・スーツを纏い、伊達眼鏡を掛けた切嗣は単身、冬木の地に降り立った。
週に一度、偽名を用いた商談のためだけに来日して、標的の分析に明け暮れる。そんな生活を二ヶ月ほど続けて、遠坂時臣は紛れもなく一流の魔術師であるということがわかった。
無論、彼が魔術の存在を示したというわけではなく、長年の経験と勘から導いた推測だ。
自信を持って言える。――この男に真正面から魔術対決を挑むなど、愚の骨頂である、と。
“魔術師殺し”衛宮切嗣としては、それだけを確認できれば充分だった。城に戻り別の準備に勤しむとしよう。
それなのに。
当初の予定通りに取引終了を告げ、にこやかに握手を交わしてホテルのラウンジから去ろうとしたら、テレビのニュースが乗るはずの飛行機の欠便を告げた。
『……日帰りのつもりだったのに参ったな。宿を手配しないと』
『お困りなら、ここの部屋を取れないか聞いてみましょうか? 支配人とは顔見知りなので』
商談の席に選んだのはそこそこの格式を誇るホテルで、飛び込みの客は簡単には受け付けてもらえないそうだ。
ならば、地主でもある時臣の厚意に甘えておこうか。
何と言っても、今の切嗣は“一般の会社員”と認識されているのだから。
そして、希望はすんなりと聞いてもらえた。
『ありがとうございます。貴方のお陰だ』
まだ若いのに、地元からの信頼も厚いらしい。老齢の支配人にも堂々と振る舞っていた。
『いえ、先代までの功績を継いだに過ぎません』
控えめな物言いとは裏腹に。秘めた自信を表すように、蒼の双眸を輝かせて。
冬木に邸宅と魔術工房を構える魔術師であること。自分と年が近いこと。そして、二児の父親であること――既存の情報と新たに得た知識を、切嗣は脳内に刻んでいった。
時臣個人の情報など特に有益ではない。
けれど、この男との会話はそれなりに実のあるものに感じた。いつの間にか、目的とは外れた所で楽しんでいた。
掴みづらい人物だ。父・矩賢のように典型的な魔術師の価値観を持っているかと思えば、娘を語る表情には確かに慈愛が潜んでいた。
結局夕方までラウンジに滞在して、取り留めもない話題を共有し、そろそろ、と時臣は立ち上がろうとした。
が、歩くことはかなわなかった。
『遠坂さん、貴方……熱があるでしょう、隠してらしたのですか』
『は、面目ない』
この段階まで相手の体調不良に気づけなかった切嗣にも責任がある。
お家に連絡して送りましょうかと耳打ちしたが、妻と娘たちは里帰り中、使用人にも暇を出している、とのことだった。病人をひとりで帰すわけにもいかず。
『わかりました。ひとまず、部屋へ移動しましょう。座っているのも苦しいでしょう』
遠慮する時臣に半ば強引に肩を貸し、拙い看病を施すことにしたのだった。
「――お休みなさい」
囁きながら暗示をかける。
朝までぐっすりと眠っているように。そして、起きた彼がここ二ヶ月ほどの自分とのやり取りを全て忘却しているように。
平常ならば効くはずのない相手だが、弱っているから抵抗されなかった。
さて、時臣が目覚める前に退散しなくては。記憶の欠片でも残っていたら厄介なことになる。
(もう、顔を合わせることはないけれど)
来たるべき聖杯戦争で冬木の地に戻っても、切嗣が時臣と直接対峙することはないだろう。
再び会ってしまえば、何かのきっかけで思い出してしまいかねない。
この男とは戦いたくない。出来ることなら。
「随分と、上質な力を持っているじゃないか」
口移しの際に不可抗力で奪ってしまった魔力の残滓は、甘露のように澄んでいた。
シティホテルのシングル・ルーム。運の良いことに空き部屋があった。
入室してすぐ、切嗣は荷物を投げるように置き、自分と変わらぬ体躯をそっとベッドに横たえた。
そうして、少しでも楽にさせようとまず全身を眺め渡す。
胸元のリボンタイを緩め、きっちり留められたシャツの第二ボタンまでを外してやる。
少々性急な手つきになってしまったが、意識が朦朧としているためか、何の反応も示さなかった。触れられたことにすら気づいていないのかもしれない。
はあはあと、苦しげに呼吸を乱して、薄く開いた双眸は涙で潤んでいる。
(つくづく、赤の似合う男だ)
染まった頬と、ちろりと覗いた舌が鮮やかにあかい。
平常ならば優雅を崩さない、弱さを晒すのは最も厭うところであろう彼の、この上もなく無防備な状態を目の当たりにして、切嗣は相手を案じる言葉を発した。
「フロントに頼んで、薬を貰いました。大丈夫ですか」
「すみません……ご迷惑、を」
重たげに首を動かして頷いたが、とても大丈夫には見えない。起き上がるのも辛いだろうと判断し、ベッドから一旦離れて、冷蔵庫からミネラルウォーターを調達した。
中身のほとんどを水差しに移して、サイドテーブルに置く。
残りをグラスに注いで片手に持った。薬の包みを解き、彼の側へと戻る。
「遠坂さん、これ」
飲めますか? という問いも耳に届いていないのか、時臣は懸命に手を宙に彷徨わせていた。ぱたぱたと、地上に揚げられた魚のように頼りなげだ。
眠りに就かせるのが一番手っ取り早いだろう。
とにかく薬を服用させようと、効率良く摂取させる方法を思案した。思いついた途端、躊躇なく彼の口元を二本指で割る。
「ん っ、」
指に挟んだ錠剤を手早く押し込んだが、時臣は飲みこめもしないようなので、口移しで嚥下させよう。
病人相手に危険な行為だとは承知しているが、魔術師同士なら手っ取り早い魔力供給にもなる。
切嗣はコップを煽った。乾ききった熱い唇に湿らせた己のものを重ねた。間違って気管に入ってしまわぬよう、慎重に水を飲ませていく。
しばらくすると、時臣の喉がこくりと鳴った。錠剤摂取は滞りなく完了したものらしい。
幾分意識も明瞭になったのか、まっすぐに疑問を浮かべた。
「……あなたも、魔術師なのか……?」
「いいえ、違いますよ遠坂さん。それより早くお休みなさい」
呪文のように囁けば、時臣は安心したようにゆっくりと瞼を閉じていった。
遠坂家当主との接触は、商談というかたちで実現した。
アインツベルンを資金源にした、それらしい取引を持ち掛け、会社員を装って近づいたのである。
目的は来たる聖杯戦争に向けての他陣営の偵察。遠坂からはまず間違いなく当主である時臣が参戦するだろう。やがて敵になるとわかっているなら、調べておくに越したことはない。
ビジネス・スーツを纏い、伊達眼鏡を掛けた切嗣は単身、冬木の地に降り立った。
週に一度、偽名を用いた商談のためだけに来日して、標的の分析に明け暮れる。そんな生活を二ヶ月ほど続けて、遠坂時臣は紛れもなく一流の魔術師であるということがわかった。
無論、彼が魔術の存在を示したというわけではなく、長年の経験と勘から導いた推測だ。
自信を持って言える。――この男に真正面から魔術対決を挑むなど、愚の骨頂である、と。
“魔術師殺し”衛宮切嗣としては、それだけを確認できれば充分だった。城に戻り別の準備に勤しむとしよう。
それなのに。
当初の予定通りに取引終了を告げ、にこやかに握手を交わしてホテルのラウンジから去ろうとしたら、テレビのニュースが乗るはずの飛行機の欠便を告げた。
『……日帰りのつもりだったのに参ったな。宿を手配しないと』
『お困りなら、ここの部屋を取れないか聞いてみましょうか? 支配人とは顔見知りなので』
商談の席に選んだのはそこそこの格式を誇るホテルで、飛び込みの客は簡単には受け付けてもらえないそうだ。
ならば、地主でもある時臣の厚意に甘えておこうか。
何と言っても、今の切嗣は“一般の会社員”と認識されているのだから。
そして、希望はすんなりと聞いてもらえた。
『ありがとうございます。貴方のお陰だ』
まだ若いのに、地元からの信頼も厚いらしい。老齢の支配人にも堂々と振る舞っていた。
『いえ、先代までの功績を継いだに過ぎません』
控えめな物言いとは裏腹に。秘めた自信を表すように、蒼の双眸を輝かせて。
冬木に邸宅と魔術工房を構える魔術師であること。自分と年が近いこと。そして、二児の父親であること――既存の情報と新たに得た知識を、切嗣は脳内に刻んでいった。
時臣個人の情報など特に有益ではない。
けれど、この男との会話はそれなりに実のあるものに感じた。いつの間にか、目的とは外れた所で楽しんでいた。
掴みづらい人物だ。父・矩賢のように典型的な魔術師の価値観を持っているかと思えば、娘を語る表情には確かに慈愛が潜んでいた。
結局夕方までラウンジに滞在して、取り留めもない話題を共有し、そろそろ、と時臣は立ち上がろうとした。
が、歩くことはかなわなかった。
『遠坂さん、貴方……熱があるでしょう、隠してらしたのですか』
『は、面目ない』
この段階まで相手の体調不良に気づけなかった切嗣にも責任がある。
お家に連絡して送りましょうかと耳打ちしたが、妻と娘たちは里帰り中、使用人にも暇を出している、とのことだった。病人をひとりで帰すわけにもいかず。
『わかりました。ひとまず、部屋へ移動しましょう。座っているのも苦しいでしょう』
遠慮する時臣に半ば強引に肩を貸し、拙い看病を施すことにしたのだった。
「――お休みなさい」
囁きながら暗示をかける。
朝までぐっすりと眠っているように。そして、起きた彼がここ二ヶ月ほどの自分とのやり取りを全て忘却しているように。
平常ならば効くはずのない相手だが、弱っているから抵抗されなかった。
さて、時臣が目覚める前に退散しなくては。記憶の欠片でも残っていたら厄介なことになる。
(もう、顔を合わせることはないけれど)
来たるべき聖杯戦争で冬木の地に戻っても、切嗣が時臣と直接対峙することはないだろう。
再び会ってしまえば、何かのきっかけで思い出してしまいかねない。
この男とは戦いたくない。出来ることなら。
「随分と、上質な力を持っているじゃないか」
口移しの際に不可抗力で奪ってしまった魔力の残滓は、甘露のように澄んでいた。
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