つむぎとうか
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静かに朽ちる
パラレル・女体化・死にネタ注意。
雁にょた時が夫婦で凛桜が娘。
ある小説を下敷きにさせていただきましたが、もっと鬱だったのをかなりマイルドに。
雁にょた時が夫婦で凛桜が娘。
ある小説を下敷きにさせていただきましたが、もっと鬱だったのをかなりマイルドに。
山奥の小さな村に、ひっそり暮らす母娘がいる。
時臣と、凛と桜。そして、もうじき加わる妹か弟だ。
恵まれた土壌でもないため、女か子どもか老人ばかりが住まう村だ。一家の稼ぎ手は大抵、街へ出稼ぎに赴き、雁夜もまたそうして時臣たちを養っている。
娘の欲目を引いても母は美しく、両親はいつも睦まじかった。
師走の末、村を離れていた男たちが、正月休みをもらって帰ってきた。
お腹が大きくなっていて山を越えられない母の代わりに、幼い妹の手を引っ張って出迎えの人たちに混ざった凛は、バスに乗っているはずの父を捜して目を凝らした。
けれど、見つけられなかった。懐かしい姿は、どこにも。
凛は、狼狽えないよう唇を噛みしめ宙を睨むと、降りてくるうちの一人に尋ねた。
「私たちの父さんを知らない?」
すると、その人は眉を顰めて、あんたたちの父さんなら村に帰ったはずだ、と言う。そんなわけがない。帰らないから迎えに来たのに。
凛ひとりでも良かったのだが、父に早く会いたいとぐずる桜を連れて、大人たちに置いていかれないよう山道を進んできたのだ。必死だった。お父さんを喜ばせてあげて、凛がそっくりと言われる毅然と美しい微笑の母に送り出されて、必死で足を動かした。
出稼ぎ先で家族に土産を選ぶのが父の楽しみだった。今回は何をくれるのだろう。本当は無事に帰ってくれるなら何もいらないと、妹と両側から抱きついたら、感極まって涙していたっけ。
あのぬくもりに触れたくてたまらないのに。
「いや――雁夜は、確かに帰ったんだよ。秋口、皆より一足先に」
バスにいた人たちは揃って顔を見合わせ、それきり沈黙してしまった。
その日のうちに、父と特に親しかった数人が話しに来てくれた事情によると、父は、秋のはじめに、出稼ぎ先の宿を発った、ということだ。
「あいつは、慣れない仕事で失敗ばかりしていたが、弱音なんか全然吐かなかった。愚痴をこぼす仲間を励ましてた」
「そういうところが、経営者の癪に障ったみたいだ。危ない仕事は主にあいつに任せられるようになった」
元々、体力自慢でもなかった父は、毎晩くたくたになりながら泥のように眠っていたという。最初の数ヶ月は、家族自慢をするくらいの余裕があったらしいが。
「心労が溜まってたんだろうな。若いのに、髪なんて真っ白になっちまってたよ」
出発前とは変わり果てた姿になっても、やはり現場に出続けたのそうだ。
『俺には、愛する嫁と子どもたちがいる。もうすぐ三人目が生まれるんだ』
待ってろよ、と、届くはずもない伝言をひとりごちて。
「けど、とうとう事故が起きた。最前にいたあいつが半身付随に陥るほどの大惨事が」
ぼろぼろに打ち捨てられた雁夜は、病院に搬送されたきり、仕事場には二度と戻らなかった。
「充分な治療だって、してもらえたかどうか……経営者は事故を隠蔽して厄介払いしたつもりだったんだろうな」
「本当にやりきれなかったけど、とにかく命は助かったんだ。村で、大事な家族と過ごせるなら、ゆっくり休んだ方がいい」
彼らは、父が村へ帰ったものと信じて疑っていなかったのだ。
父の行方は杳としてしれなかった。
日増しに弱っていく母は、父の存在が心の支えだったのだろう。大恋愛だったと聞いている。資産家の令嬢である母の両親に結婚を反対され、駆け落ちしてこの村に至ったのだ、ということを。
「かりや…どこに、いるの……っ」
寝床で魘される母の手を死人のように冷たく感じて、凛と桜は必死で握りしめた。
娘たちの前では「お父さん」と呼んでいたのに、縋るように紡がれる父の名前。凛たちが生まれるまで呼んでいたのだろう。
母は――時臣の心は、消えてしまった父だけを追いかけている。
やがて、母は死んだ子を生んだ。
+++++
翌年の秋、父の亡骸が発見された。すでに白い骨になっていたが、傍に転がっていた荷物から判別できた。
場所は、村にほど近い裏山。驚いたことに、家が見下ろせるほどの距離まで来ていたのだ。
空より深い、母の瞳みたいな色をしたリュックサックは、凛と桜がお小遣いを貯めて贈ったもの。持ち手部分には父のイニシャルを縫いつけた御守りが堅く結んであった。不器用な母が、一生懸命刺繍していた。
中身は、すっかり黴びてしまった衣類が主だったが、土産らしい品々も何点か入っていた。
“時臣へ”と記したタグが付けられた、何着もの洋服。母にあまり着る物を持たせてやれないことを、父は本人よりずっと気に病んでいた。
“凛と桜へ”――お揃いのリボンが二本。凛がねだっていた絵の具に、桜が欲しがっていた色鉛筆。なかよく使いなさい、と箱に書いてあった。
家の明かりをすぐそこに、土産も準備して、折角戻ってきたのに、とうとう帰れなかった。
崖で足を滑らせたのが死因なのだそうだ。急な斜面ではない、雨のあとでぬかるんでいたとも思えない時期、だが身体を半分しか動かせなかった父には困難な道中だったのだろう。
打った頭に致命傷を負い、誰も来ない裏山の崖下で、最期の瞬間を迎えた父は絶望したろうか。
……それとも、諦めて目を閉じたのだろうか。
凛と桜は、涙が涸れた母の分まで泣き続けた。
父の弔いを済ませた直後から、母は段々と正気を手放していった。
「もうすぐ、お父さんが帰ってくるわ」
含みを持たない声色で、繰り返す。言葉通りに父が現れるはずもないのに。
「凛、桜、おかえりなさいと言ってあげて」
こけた頬、枯れた木のように細くなった手足、いつも青白い肌のいろ。
痩せ衰えてなお、童女のようにあどけなく笑む母は美しい。
――お父さんは、死んでしまったのではないの?
――ええ、そうよ、桜。もう二度と会えない。
――でも、お母さんは、
――お父さんは生きてるわ。ただし、お母さんの心の中にだけね。
姉妹は、勘当されていた時臣の実家に引き取られることになった。
けれど、母は決して村を出ようとはしないだろう。朽ちかけた家でいつまでも、父を待ち続けるのだろう。
土産の服を着て。母にしか聞こえない、死人の声に耳をすまして。
山奥の小さな村に、時臣はひとりで暮らしている。
時臣と、凛と桜。そして、もうじき加わる妹か弟だ。
恵まれた土壌でもないため、女か子どもか老人ばかりが住まう村だ。一家の稼ぎ手は大抵、街へ出稼ぎに赴き、雁夜もまたそうして時臣たちを養っている。
娘の欲目を引いても母は美しく、両親はいつも睦まじかった。
師走の末、村を離れていた男たちが、正月休みをもらって帰ってきた。
お腹が大きくなっていて山を越えられない母の代わりに、幼い妹の手を引っ張って出迎えの人たちに混ざった凛は、バスに乗っているはずの父を捜して目を凝らした。
けれど、見つけられなかった。懐かしい姿は、どこにも。
凛は、狼狽えないよう唇を噛みしめ宙を睨むと、降りてくるうちの一人に尋ねた。
「私たちの父さんを知らない?」
すると、その人は眉を顰めて、あんたたちの父さんなら村に帰ったはずだ、と言う。そんなわけがない。帰らないから迎えに来たのに。
凛ひとりでも良かったのだが、父に早く会いたいとぐずる桜を連れて、大人たちに置いていかれないよう山道を進んできたのだ。必死だった。お父さんを喜ばせてあげて、凛がそっくりと言われる毅然と美しい微笑の母に送り出されて、必死で足を動かした。
出稼ぎ先で家族に土産を選ぶのが父の楽しみだった。今回は何をくれるのだろう。本当は無事に帰ってくれるなら何もいらないと、妹と両側から抱きついたら、感極まって涙していたっけ。
あのぬくもりに触れたくてたまらないのに。
「いや――雁夜は、確かに帰ったんだよ。秋口、皆より一足先に」
バスにいた人たちは揃って顔を見合わせ、それきり沈黙してしまった。
その日のうちに、父と特に親しかった数人が話しに来てくれた事情によると、父は、秋のはじめに、出稼ぎ先の宿を発った、ということだ。
「あいつは、慣れない仕事で失敗ばかりしていたが、弱音なんか全然吐かなかった。愚痴をこぼす仲間を励ましてた」
「そういうところが、経営者の癪に障ったみたいだ。危ない仕事は主にあいつに任せられるようになった」
元々、体力自慢でもなかった父は、毎晩くたくたになりながら泥のように眠っていたという。最初の数ヶ月は、家族自慢をするくらいの余裕があったらしいが。
「心労が溜まってたんだろうな。若いのに、髪なんて真っ白になっちまってたよ」
出発前とは変わり果てた姿になっても、やはり現場に出続けたのそうだ。
『俺には、愛する嫁と子どもたちがいる。もうすぐ三人目が生まれるんだ』
待ってろよ、と、届くはずもない伝言をひとりごちて。
「けど、とうとう事故が起きた。最前にいたあいつが半身付随に陥るほどの大惨事が」
ぼろぼろに打ち捨てられた雁夜は、病院に搬送されたきり、仕事場には二度と戻らなかった。
「充分な治療だって、してもらえたかどうか……経営者は事故を隠蔽して厄介払いしたつもりだったんだろうな」
「本当にやりきれなかったけど、とにかく命は助かったんだ。村で、大事な家族と過ごせるなら、ゆっくり休んだ方がいい」
彼らは、父が村へ帰ったものと信じて疑っていなかったのだ。
父の行方は杳としてしれなかった。
日増しに弱っていく母は、父の存在が心の支えだったのだろう。大恋愛だったと聞いている。資産家の令嬢である母の両親に結婚を反対され、駆け落ちしてこの村に至ったのだ、ということを。
「かりや…どこに、いるの……っ」
寝床で魘される母の手を死人のように冷たく感じて、凛と桜は必死で握りしめた。
娘たちの前では「お父さん」と呼んでいたのに、縋るように紡がれる父の名前。凛たちが生まれるまで呼んでいたのだろう。
母は――時臣の心は、消えてしまった父だけを追いかけている。
やがて、母は死んだ子を生んだ。
+++++
翌年の秋、父の亡骸が発見された。すでに白い骨になっていたが、傍に転がっていた荷物から判別できた。
場所は、村にほど近い裏山。驚いたことに、家が見下ろせるほどの距離まで来ていたのだ。
空より深い、母の瞳みたいな色をしたリュックサックは、凛と桜がお小遣いを貯めて贈ったもの。持ち手部分には父のイニシャルを縫いつけた御守りが堅く結んであった。不器用な母が、一生懸命刺繍していた。
中身は、すっかり黴びてしまった衣類が主だったが、土産らしい品々も何点か入っていた。
“時臣へ”と記したタグが付けられた、何着もの洋服。母にあまり着る物を持たせてやれないことを、父は本人よりずっと気に病んでいた。
“凛と桜へ”――お揃いのリボンが二本。凛がねだっていた絵の具に、桜が欲しがっていた色鉛筆。なかよく使いなさい、と箱に書いてあった。
家の明かりをすぐそこに、土産も準備して、折角戻ってきたのに、とうとう帰れなかった。
崖で足を滑らせたのが死因なのだそうだ。急な斜面ではない、雨のあとでぬかるんでいたとも思えない時期、だが身体を半分しか動かせなかった父には困難な道中だったのだろう。
打った頭に致命傷を負い、誰も来ない裏山の崖下で、最期の瞬間を迎えた父は絶望したろうか。
……それとも、諦めて目を閉じたのだろうか。
凛と桜は、涙が涸れた母の分まで泣き続けた。
父の弔いを済ませた直後から、母は段々と正気を手放していった。
「もうすぐ、お父さんが帰ってくるわ」
含みを持たない声色で、繰り返す。言葉通りに父が現れるはずもないのに。
「凛、桜、おかえりなさいと言ってあげて」
こけた頬、枯れた木のように細くなった手足、いつも青白い肌のいろ。
痩せ衰えてなお、童女のようにあどけなく笑む母は美しい。
――お父さんは、死んでしまったのではないの?
――ええ、そうよ、桜。もう二度と会えない。
――でも、お母さんは、
――お父さんは生きてるわ。ただし、お母さんの心の中にだけね。
姉妹は、勘当されていた時臣の実家に引き取られることになった。
けれど、母は決して村を出ようとはしないだろう。朽ちかけた家でいつまでも、父を待ち続けるのだろう。
土産の服を着て。母にしか聞こえない、死人の声に耳をすまして。
山奥の小さな村に、時臣はひとりで暮らしている。
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